2017年03月12日

芦屋市立幼稚園・保育所統廃合のここが問題!

 芦屋市が2月13日に明らかにした市立幼稚園・保育所の統廃合計画について、関係者・市民から批判の声が相次いでいます。
 日本共産党芦屋市議団は、2月13日の市議会全体協議会で私・平野貞雄が、3月6日の本会議総括質問では森しずか議員が、統廃合計画を厳しく批判し撤回を求めました。また、13日の市議会予算委員会民生文教分科会ではひろせ久美子議員がこの問題で、新年度予算にかかわる打出保育所の「民営化」を中心に取り上げる予定です。
 市議会での追及や当局の説明会で明らかになった点も含めて、統廃合計画の問題点を整理しました。

●市民不在の計画策定…プロセスに重大な問題
・市は今回の統廃合計画を、27年3月に策定した『子ども子育て支援事業計画』で「市立幼稚園と市立保育所の適正な規模についての整備検討を行います」としていることの具体化だと説明しています。しかし今回のような大規模な統廃合を「適正な規模についての整備検討」で正当化するには無理があると言わねばなりません。昨年の11月に幼稚園の「適正規模と配置」について答申を出した「学校教育審議会」でも、保育所との統合には全く触れておらず、同審議会の「答申」(以下、答申)をもって、今回の統廃合を正当化することにも無理があります。市の説明会(10日)では、審議会の市民委員からも進め方に疑問の声が出されました。地域の子育て環境に重大な変化をもたらす今回の統廃合計画では、市民の「参画と共同」の視点からも、市民参加のもとでの議論を経る手順が必要です。
市は、3月中に開催予定の「芦屋市子ども子育て会議」(法に基づいて、関係者・市民代表なども参加する会議)を単なる「報告」の場に留めず、あらためて議論し直す機会にすべきです。
・市は最終的に「総合教育会議」(2月3日開催)で決めたとしていますが、これにも重大な問題があります。そもそも「総合教育会議」は、市長と市長から独立した行政委員会である教育委員会の「協議調整」のために地方教育行政法で設けられた会議です。「協議調整」のためには、事前に教育委員の合議機関である教育委員会としての意思を正規の「教育委員の会議」で確認しておく必要があります。しかし、教育委員会では非公式の「協議会」は開いても、正式な意思決定の会議「教育委員の会議」は開いていません。重大な瑕疵があると言わねばなりません。「総合教育会議」のあとの「教育委員の会議」で「報告」をしていますが、「報告」で済ますことではありません。

●「待機児解消」につながらない『統廃合』 
・市は保育所の待機児解消を統廃合の理由にあげ、374名の定員増が見込めるとしています。しかし、新設する市立認定ごとも園の保育部分を入れて公立全体で増えるのはわずか30人分に過ぎません。あとの344名は統廃合とは別に誘致する民間の保育所(ハートフル福祉公社移転後跡地)、認定子ども園(浜風町、涼風町)、小規模保育所(市役所新分庁舎内)での増員です。しかも統廃合で廃園・民間移管(民営化)となる市立打出保育所、同大東保育所は移管後の定員に変化はなく、待機児解消には全くつながらないものです。

●民営化は退職保育士の「不補充」による財政削減が目的? 
・市は、2保育所の廃園・民営化の理由として、29年度末から34年度末までで市立2保育所分の保育士に相当する31名が定年退職となる問題をあげています(*1)。しかし、これは説明会でも市民から指摘されていたように「新規採用」で補充すればよいことで、廃園・民営化につなげることは行政の怠慢であり、統廃合計画について「子どもの最善の利益」を口にしながら、結局はコスト削減が目的と言われても仕方のないことです(*2)。
*1⇒29年度末5人、30年度末10人、31年度末〜33年度末各2人、34年度末10人が退職見込み。
*2⇒市は29年度から10年間の「長期財政収支見通し」で、今回の統廃合が実施された場合8億1千万円[保育士の人件費4億円、維持補修費等4.1億円]のコストが削減されるとしている

●「子どもの最善の利益」とは真逆
・市は統廃合を「子どもの最善の利益」につなげるとしていますが、これまでの市の方針に照らしても矛盾があります。統廃合によって地域の子育てセンターが遠くなり利用しにくくなるとともに、通園区域が広がり、教育委員会が進めてきた幼稚園への「徒歩通園」に無理が生じ、説明会でも「手をつないで行ける所で親子のきずなが深められることを大事にしてほしい」との声が出されています。
市は認定子ども園によって幼稚園教育が引き継がれるとしていますが、同じクラスに2時に帰る子(1号認定=従来の幼稚園児)と残る子(2号認定=従来の保育所児)が混在することとなり、それに対応したカリキュラムとなることによって、これまでの幼稚園教育がそのまま引き継がれることには成りえません。市民からも評価の高かった幼稚園教育が継続される保証はありません。
 芦屋市・教育委員会は、関係者の努力と地域で培われてきた幼稚園教育を守るべきです。

●市の都合で方針転換?…幼稚園の「3歳児保育」
・市はこれまで、市立幼稚園での「3歳児保育」実施は、すでに実施している民間園との児童の取り合いになるとして、実施しない方針を頑なにとってきました。ところが今回の統廃合計画では、市立認定子ども園の「1号認定」で3歳児から受け入れるによって幼稚園での3歳児保育の要望に応えられるとしています。認定子ども園には、市外に出ている3歳児を市内に呼び戻すことになり、市内民間園との競合は起きないという市の説明には何の保障もなく、これまでの市の説明とは大きな矛盾です。説明会でも「公立認定子ども園でできるなら、なぜ公立幼稚園でできないのか」(元PTA役員)と厳しい指摘がされています。
芦屋市は、今回の計画を撤回し、保育所の待機児解消にもつながる公立幼稚園での「3歳児保育」実施にとりくむべきです。

●公立保育所の減少は公的保育の後退 
・社会保障としての公的保育の中核を担うのが公立保育所です。芦屋市立保育所では保育士の配置基準の上乗せや看護師の配置、給食のアレルギー除去食など、保育水準の向上を高め、民間認可保育所を含む市内の公的保育の水準をリードする役割を担ってきました。まさに公立保育所が中心になって「子どもの最善の利益」を追求してきたと言えます。しかし、国による「民間活力導入」「保育の市場化」路線の中で、公立保育所が長期間つくられず(*3)、民間依存による弊害は一部社会福祉法人による不正(*4)ともなって表れています。公立保育所の減少は公的保育の中核がやせ衰え、公的保育全体の水準低下を招くことになりかねず、「子どもの最善の利益」に逆行すると言えます。
  芦屋市は、公的保育への責任を後退させず、市立保育所の建設こそ進めるべきです。
*3⇒芦屋では1982年[昭和57年]に新浜保育所が開設されて以来35年間も市立保育所増設はなし。
*4⇒昨年、芦屋でも社会福祉法人『夢工房』の前経営陣による不正経理問題が発覚。



posted by 平野 at 11:37| Comment(1) | 政策

2015年04月11日

地方選後半目前、8期目へラストスパートです

地方選も前半戦(県議・政令市議選)が明日投票日を迎え、私が臨む19日からの後半戦は目前です。前々回の惜敗から議席を取り戻したこの4年間、議席をなくしていた4年間(2007.6〜2011.6)の分もとりもどす思いで、全力でとりくんできました。いよいよ、8期目めざしてラストスパートです。ご期待に応えられるよう、精いっぱい政策を訴え、がんばります。ご支援をよろしくおねがいします。

主な政策
●国民健康保険・介護保険の負担軽減国民健康保険料の一人一万円引き下げなど負担軽減を進めます。介護はずしを止め、特
別養護老人ホームを増やします
●保育所増設・幼稚園3年保育実施
待機児解消、働く世帯を応援します
●奨学金拡充
行革でなくなった大学生向け奨学金を復活し、高校生向けとともに増額します
●被災者支援
市独自の被災者支援制度を創ります
●コミュニティバス運行                        
バス路線のない地域から公共施設・ターミナルへ
●議会改革の推進議会基本条例を真に生きたものにし、政務活動費のホームページ公開、委員会のネット中継等の実現、
市民に開かれた議会へ
●憲法を自治と平和に活かす
自・公政権による憲法違反の「戦争する国づくり」を許さず、憲法を平和と自治に活かす、自治基本条例の制定、平和行政の推進

■まちづくりの主役は市民!…南芦屋浜小学校新設問題
まちづくりの主役は市民です。南芦屋浜の小学校新設問題など地域の課題は、地域住民・関係者の合意と納得が大前提です。南芦屋浜小学校問題では、現在の潮見小学校校区の関係者にとって突然の「建設表明」があったかと思えば、議員からの撤回申し入れがあったからと、今度もまたまた突然に「建設撤回」を表明するなど迷走を続けて、事態を混乱させている市長の責任は重大です。なによりも、市民とりわけ地域の子どもたちの教育を中心においた議論を一からやり直し、新たな小学校建設の是非も含めて、市民と行政共同の再検討が求められます。

posted by 平野 at 10:47| Comment(0) | 政策

2015年02月22日

市民の願いに応えられる市議会へ真の議会改革を

日本共産党演説会が芦屋市民センターでひらかれ、次のようなお話をしました。

■平野貞雄です。8期目に挑戦します。よろしくお願いします。
■この四年間、副議長や議会改革特別委員会副委員長などこれまでにない役割を担い、経験をしてきました。
●特に、私が副委員長を四年間続ける体制でスタートした議会改革特別委員会の活動は、芦屋市議会にとっても画期をなすとりくみであったと思います。その成果はこの議会基本条例にまとめられています。アメリカでは法律の名前に個人名がつけられていますが、手前味噌になるかもしれませんが、この条例は議会事務局では「平野条例」と言われていまして、論戦をリードしたと自負できるものです。
条例では「芦屋市の民主的な発展に寄与していく」「合意を尊重した民主的な議会運営に努める」など、当たり前とは言え市政や議会運営における民主主義の視点をしっかりと書き込むことができたことは、貴重な成果だと思います。
●問題は、これを実際の議会活動にどう活かすですが、それが問われたのが先だっての議員定数削減問題での論戦でした。
定数問題について詳しくお話しする時間は今日はありませんが、市民代表である議員を減らすことは、いまでも見えにくいと言われる議会がますます市民から遠のくことになると共に、行政に対するチェック機能、政策提案機能を後退させるものです。
機能していないなら機能させることこそが重要だと、議案審査の参考人として大学教授から専門家の立場で意見が出されたのはもっともなことだと思います。
(中略)
●議会改革の成果をこれからの市議会活動に生かすのか棚上げにして反故にしてしまうのかは、引き続く議会改革にもつながる問題として四月の選挙でも大きく問わなければならないテーマです。
海外視察の廃止、議員報酬の引き下げ、政務活動費の公開、傍聴される市民への議案などの資料提供など、これまでにも議会改革リードしてきた日本共産党として、今後とも全力を尽くします。
どうぞ、議会改革の担い手として、三名をそろって引き続き市議会に送り出してください。よろしくお願いします。

■さて、今期は住民自治が大きく発揮されて成果を生み出した四年間でした。
●当初はなかなか難しく思えた中学校給食の実施も、こども医療費無料制の拡充も、いよいよ新年度から実現します。これらはいずれも、寒い中、あるいは炎天下、署名運動を繰り広げるなどの住民運動という住民自治の発揮があればこその成果であったことをみなさんとごいっしょに確認できると思います。
●私がライフワークとする平和の問題でも、芦屋市の平和市長会議への加盟に続いて、非核平和都市宣言30周年となる今年は、その記念碑が市役所前広場に設けられます。もっとも予算はわずかなものですから、外見上はりっぱなものとは言えないかも知れませんが、これも長年にわたって宣言を記念する非核平和つどいを市民の実行委員会で継続し、折々に行政に対して平和行政の充実・強化を求めるという市民的とりくみがあったからこその成果です。
●高い保険料の引き下げや介護事業の改善、一人親家庭など社会的弱者といわれる方々への施策強化など、切実な願いが山積みです。そのような市民の声を行政や議会・議員がどのように受け止めるのかが問われています。

昨今、自己責任や自助・自立が声高に言われ、住民要求を抑え込むあらたな動きが強まっています。地方政治の根幹である住民自治のとらえ方にも歪みが持ち込まれようとしています。
●先ごろまで市民意見公募がされていた芦屋市の市民参画協働推進計画でもその傾向が見られます。市政の主役=主権者は市民です。しかし、それをあいまいにする「主体」と言う言葉が多用されています。「主体」とは、「主体的に」などの使い方がされるように「自分から」「自主的に」という意味合いが強いものであり、「主役」「主権」とは異質です。

●このような、住民自治の変質を許さないとりくみが大切です。
本来の住民自治とは、そのために作っている行政当局と議会に対して、言うべきことを言っていく、要求・願いをしっかり届けていく、これが真髄ではないでしょうか。このことに確信をもとうではありませんか。
この四年間に培った「住民の声で政治を動かす」という体験を、今後の芦屋市政の民主的な発展に生かして行こうではありませんか。
そして、そのように届けられる声をしっかりと受け止められる市議会にするために、「市民とともに」の立場を貫く日本共産党の議員を、確実に三名そろって議会に送り出してください。私も全力を尽くします。どうぞよろしくお願いします。

■最後に、「そうは言っても芦屋市も赤字と聴くからあまりあれしろこれしろとは行政に言えないのでは」−というまだ一部市民の中に根強くある声についてです。

●市は、震災以降の財政状況を先の見えない暗い長いトンネルにたとえていました。しかし、先日の行財政特別委員会での森議員の質問に山中市長は「トンネルは抜け出た」と断言しました。実はその前に議員に配られていた施政方針では「トンネルからようやく出口へたどり着こうとしている」と述べていたのですから、わずかな期間になんと速い変化かと驚くほどに、芦屋市の財政状況は好転しているのです。
●それを示しているのが、市債すなわち市の借金返済です。市長もピークの半分以下にしたと自分の成果にしていますが、市民税一人平均全国一というもともとの市民の担税力、芦屋市の財政力によるものです。
この二年間に芦屋市が返した借金が175億円です。一年間の市税収入が200億円あまりの芦屋市にとっていかに大きいかはおわかりいただけるとおもうのです。
●さらに驚くのは、みなさんのお手元にお渡ししている資料にも書いてありますが、前倒しの借金返済、つまり急いで返さなくともよい借金返済がなんとそのうちの67億円も占めているということです。しかも今議会の補正予算で、さらに約12億が上積みされて、その額は80億円近くにもなりました。

●よく「借金は、早く返すに越したことはない」ということを言われる方がいますが、ご家庭の借金と行政の借金は違うということです。行政の借金はそれによってつくられた公共施設を利用する長期間の間の市民の「負担の平準化」という考え方から行なわれる基本的な財政運営の仕方なのです。

つまり、当初計画どおり返して何の問題もないものを市長の選挙公約にこだわって返しているに過ぎず、他にまわすことも可能なものだということです。

●中三までの子ども医療費無料制の完全実施に必要なのは2億2000万円ほど、高い国民健康保険を一人一万円引き下げるのに必要なお金は、2億3000万円ほど、介護保険料の新年度値上げをやめるのには2億4千万円あればできます。80億円もあれば、何年分もの予算が確保できます。

要は、市民の担税力に支えられた全国一豊かな芦屋の財政力をどう使うか、生かすかです。日本共産党は、全国一豊かな財政力を使って全国一だれもが安心で豊かに暮らせる芦屋市にするために全力を尽くします。

ごいっしょにそんな街づくりを進めようではありませんか。そのことをおよびかけし、私も全力を尽くすことを重ねて申し上げ、私からの訴えとさせていただきます。ありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。



posted by 平野 at 23:00| Comment(0) | 政策

2012年03月06日

総括質問(代表質問)がおわりました

  予算議会の会派代表質問である「総括質問」がようやく終わりました。4年間議会を離れていたので、6年ぶりの総括質問です。第二質問は、やや準備不足の感は否めませんが、ともかく終わって「ホッ」と一息…といきたいところですが、明日から予算委員会です。
  以下に質問原稿をアップします。

2012年予算議会総括質問
まもなく一年を迎える3.11東日本大震災は、どういう社会を選ぶのかという最も根幹的な問いを私たち国民に突きつけるものとなりました。すなわち、原発に象徴的に示される 安全よりも利益追求型効率優先の社会か、国民の命とくらし最優先の社会かであります。
日本共産党は、後者の社会実現をめざして全力をつくすものであり、その立場を基本にして、以下大きく6点にわたって、日本共産党を代表して質問をいたします。


■くらし・福祉について

 ●(「社会保障と税の一体改革」について)
  くらしと福祉についての質問の一点目は、政府が進める「社会保障と税の一体改革」に関してです。
  アメリカ金融資本の暴走が生み出した証券バブルと過剰消費バブルが破裂したことによる、金融・経済危機、いわゆる「リーマンショック」が世界に広がって3年余りとなります。IMF国際通貨基金は「危機の新たな段階に入った」と警鐘を鳴らしていますが、その特徴は、いずれの国においてもこれまでの庶民増税と社会保障削減という財政再建策そのものが実体経済の悪化を招き、財政を一段と悪化させる悪循環に陥っていることです。大企業が潤えば、いずれ雇用と家計に滴り落ちて経済がうまくいくというトリクルダウン経済論はいまや完全に破綻しています。
  昨年のわが国の「経済財政白書」は欧米諸国に比べて日本の回復が大きく遅れていると指摘しましたが、それは庶民増税で経済を悪化させて税収も減らし、大企業・大資産家に富を集中させて雇用と暮らしを破壊する構造改革路線が内需を抑制しているからにほかなりません。
  この路線からの脱却が求められている中で、
政府がすすめる「社会保障と税の一体改革」は、増税と社会保障削減がその本質と言えます。医療や年金における負担増と給付の切り下げという社会保障削減に加え、逆進性の強い消費税の増税は、消費をいっそう冷え込ませて経済の疲弊を深め、一時の税収増はあっても中長期的には国民の担税力をそぎ落とすことによって税収減を招くものです。

  実際、消費税が3%から5%に上がった後の国と地方を合わせた税収の変化を見ると、引き上げ前の1996年には税収総額7.6兆円だった消費税が、2010年には12兆7千億円に増えているものの、法人三税が総額23兆3千億から14兆8千億円に減少するなど税収全体では、90.3兆円から76.2兆円に大きく落ち込んでいます。その背景にあるのは、消費税増税と医療制度改悪による負担増などによって平均的勤労者世帯で年間の可処分所得が90万円も減ったという国民生活の貧困化です。
  野田総理は、この事態についてかつて「もっとも愚かで、もっとも無意味で、破壊的な経済政策といわれることになろう」と言っていましたが、同じことを繰り返してはならないのです。
  わが党は、社会保障の財源は消費税に頼るのでなく、第一段階として、大型公共事業などの無駄を削る、証券優遇税制の廃止や富裕税の創設、大企業減税の見直し、環境税の創設などによって12兆円から15兆円を捻出、さらに第二段階では、経済の発展による可処分所得の増加を前提に応能負担の原則に立った所得税の税制改革によって6兆円の財源を生み出すという「社会保障充実、財政危機打開の提言」を発表しました。
  市長は、消費税増税の是非を含め「一体改革」についてどのような認識をもっているのか。「一体改革」にともなう市民生活への影響をどのように見通しているのかもあわせてお示しいただきたいと思います。

 ●(子育て支援策について)
  くらし・福祉の2点目は、子育て支援についてです。
  今日の社会経済状況のもとでは以前にも増して、市民生活とりわけ成長過程にある子どもたちの生活への否定的影響を最小限に抑えるための施策が重要となっています。また、少子化傾向に歯止めがかかっていない中、その要因である子育てにおける経済的負担の緩和策は、地域社会の活性化という視点からも、行政の重要課題と考えます。
  いまや阪神間でも最低レベルとなっている子ども医療における通院無料制度の拡充は、本市にとってまったなしの課題となっていると思います。昨日の答弁にあったような、国がやるべきことだからと、国の制度化をまっている間に過ぎ去る時間は、子育て世代の市民が芦屋市への信頼と愛着を失っていく時間になりかねません。
  昨日も拡充を求める質問がありましたが、重ねて要望し市長の決断を求めます。

  医療費にも増して深刻なのが教育費です。OECD30カ国の中で、大学授業料が無償の国は15カ国、給付制奨学金制度があるのが28カ国で、どちらもないのは日本だけです。いまや世界の中では、教育環境後進国となっているのが現状です。これもまた国の責任と言えばそれまでですが、このような現状であればこそ、奨学金制度が子育て支援策として芦屋の魅力を高める施策ともなりうるのです。
  この間の行革によって、廃止された大学生対象を復活し、削減された高校生への給付額をもとに戻す、さらに大学入学準備金を創設するなど奨学金制度の拡充を求めます。今年の予算を教育優先と言われた市長の言葉に見合った答弁を期待します。

  子育て支援の2つ目として「子ども・子育て新システム」についておたずねします。 
「社会保障と税の一体改革」に組み込まれている「子ども・子育て新システム」は、保育における行政責任の後退や営利企業の参入など、保育水準の低下を招く危険性が大きなものです。
三歳未満児対象の乳児保育所以外の認可保育所と幼稚園は、三年程度で「総合子ども園」に移行することになっていますが、幼稚園は移行せずにそのまま残る道も残されています。また待機児童の多くを占める三歳未満児を受け入れる義務は総合子ども園には課さないことになっているので、民主党が掲げていた「幼保一元化による待機児童解消」も「二重行政」の解消も新システムでは実現せず、現行の保育制度を変える根拠は破綻しています。
  結局残るのは、行政の保育実施義務をなくした利用者と保育施設との直接契約方式であり、補助金を受けた株式会社が保育で得た利益を配当することも認める企業参入の規制緩和です。
この間の議会答弁では「市民サービスの向上になる」旨の答弁が示されているが、何をもって「市民サービスの向上」と考えるのか、市長の認識をうかがいます。


 ●(安心できる老後を)
  次に、くらし・福祉についての3点目として、安心できる老後を願う市民の声を受けて、高齢者施策について質問します。

  まず介護保険制度に関して2点おたずねします。
  一点目は、改定を迎えた保険料についてです。
介護保険制度導入以来の介護保険料の急激な負担増は、被保険者にとって耐え難いものとなっている。新年度保険料改定は、現在月額4400円の基準額が5090円へと16%近くの大幅引き上げが見込まれ、制度スタート時の1.8倍にもなります。
わが党が求めていた保険料引き下げのための財政安定化基金活用が可能となりましたが、兵庫県はその拠出分を保険料引き下げには使わないとの態度をとっており、その態度を改めること、また国にその負担を引き上げることを求めつつ、市として保険料の負担軽減のために、負担率の枠内というこれまでの延長ではない一般会計からの思い切った繰入を求めるものです。
  
  介護保険の二点目は、施設整備についてです。
  先ごろ策定された次期介護保険事業計画では、需要に応えた介護施設の計画にはなっていません。計画では、特別養護老人ホームの待機者が約500人とし、「解消に向けての施設整備が課題となる」としながら、その見通しは示されていません。小規模特養といわれる定員29名の地域密着型介護老人福祉施設が計画期間中に2箇所整備の見込みが示されていますが、到底足りず、家族の負担を強いる在宅介護にシフトされかねない状況です。「保険あって介護なし」とも言われる現状を早急に解消すべく、特別養護老人ホーム等、需要を最大限充足する介護施設の整備計画をもつべきではないでしょうか。市民の願いに応えた答弁を求めます。

  いまひとつの高齢者施策は、後期高齢者医療制度です。
  後期高齢者医療制度は、三回目の保険料改定を迎え、兵庫県広域連合では余剰金30億6千万円の全額活用、財政安定化基金89億円の内68億円を取り崩してなお新年度に平均6.09%の保険料引き上げを予定し、平均年間保険料は75027円にもなる見通しです。もともとが差別的医療制度である後期高齢者医療制度は、75歳以上の人口と医療費の増加に伴い保険料が際限なく上昇する仕組みとなっており、天引きとならない年間年金額18万円未満の低所得者に滞納が増えています。制度的破綻の様相を呈している後期高齢者医療制度は、政権与党も廃止をかかげていたにもかかわらず、現在、政府が廃止を見送った先に見えてくるのは、75歳以上を別勘定にするという現行制度の欠陥はかかえたままで、国庫負担は減らすというものです。
  制度としてすでに破綻している後期高齢者医療制度は早急に廃止すべきものとして、市長の姿勢を明確にされるよう求めます。ご答弁下さい。


■財政について

 ・税と社会保障の役割として、所得の再分配機能がありますが、本市は高額所得者による納税額の大きさもあって個人市民税の平均が全国トップであるなど、税収において際立った強さをもちながら、それに見合った社会保障における所得再分配がされているとは必ずしも言えません。決算審査でも指摘した財政支出における扶助費の比率の低さ、すなわち、財政全体の中で社会保障における個人給付の経費総額の占める比率が西宮市や伊丹市の半分ほどに過ぎず、阪神間で最低レベルという際立った低さにもそのことが示されています。
  その具体例として、生活援護資金や就学奨励費などの所得制限は、近隣他市に比べて厳しく、対象者を政策的に狭めるものとなっていることも、決算審査で指摘いたしました。生活援護資金では、近隣他市が生活保護基準の1.5倍まで対象としているのに対して、本市は1.2倍までに抑えられていること、就学奨励費では、西宮市の所得制限よりも約30万円も低く厳しいものとなっていることなどであります。これによって他市では救済される世帯が救済対象から排除されているのが芦屋市の現状です。
  これまで市は所得制限の緩和は「財政状況から困難」との答弁を繰り返していますが、景観などでは全国トップをめざすとして財政の投入も図りながら、なぜ市民の暮らしを支え、子どもたちの教育権を保障する施策では、財政困難を理由にして阪神間最低にとどめ置くのか、まさに所得再分配機能の抑制という政策的意図が働いているからではないのでしょうか。少なくとも客観的にはそうなっているのであります。
  福祉の向上という行政目的に照らしても、本市財政力を活かして所得再分配機能を強化すべく、所得制限緩和の改善をすべきではないでしょうか。答弁を求めます。

■教育・文化行政について

 ・(文化振興基本計画について)
  本市の文化振興基本計画が現在、パブリックコメントにかけられています。文化振興にかかる計画を策定することは、行政として積極的なものではありますが、いくつかの気がかりな点があることは、所管委員会で指摘したところです。
  その中でも、特に基本的な問題点についてあらためて指摘し、市長の認識を質しておきたいと思います。
  文化振興基本計画においては、基本的な施策として「文化活動による人づくりの推進」「固有の文化資源を活用した地域づくりの推進」「文化の振興と再生を図るための環境づくりの推進」の三つを柱として掲げています。「人づくり」「地域づくり」「環境づくり」と語呂はよいのでしょうが、これらの三つのなかで「人づくり」は他の二つとは異質です。
  市における様々な計画は、市民の権利を保障すべく、行政がその義務をどう果たしていくのかが基本であります。
  人つまり市民は、文化を創造し、文化を享受する主体であり、その権利を保障するために地域づくりや環境づくりがあるという関係です。行政が市民参画のもとで、地域づくりや環境づくりをしていくのは当然ですが、その中で市民は人間としての自己発達をとげるのであって、だれによってであろうと「つくられる」ものではありません。

  行政内部における専門職員という意味での人材育成とは異なって、行政が一般市民を対象として「人づくり」をめざすなどというのは、市民が文化を享受し、文化を育むための条件整備という行政の守備範囲を逸脱した越権行為ではないでしょうか。行政が定める計画としては、極めて不適切な目標設定だと思いますが、市長の認識をおたずねします。


 ・(県立高校通学区の拡大について)
  県教育委員会は年明早々の1月6日に、高校普通科の学区を現在の16学区から5学区に再編し、2015年から実施するという基本方針を決定しました。
  その内容は、パブリックコメントで出された県民の声や地元自治体から出された疑問や不安に答えず、問題を先送りした上で学区の拡大だけを決めるという県民・自治体無視のしろものです。
  議論の過程では、県下の多くの市議会が意見書を上げています。例えば養父市議会は「受験競争がさらに激化するだけでなく、生徒たちは地元高校への進学が難しくなり、遠距離通学を余儀なくされます」との意見を表明し、西脇市議会も「『学校選択の自由』を建前に『競争の教育』によりいっそう拍車がかかる」と批判しましたが、この内容は、7年前に神戸第一学区と統合し、4年前には県立芦屋高校が単位制になって全県学区となり、2年前からは複数志願選抜導入という経過をたどった芦屋市の現状そのものと言えます。
 高校通学区拡大は、競争の激化と負担増で教育の向上に逆行するものであり、県に対して、この度の高校普通科の通学区域に係る基本方針を撤回するように芦屋市として意見を表明することを求めるものです。
  県の学区検討委員会でも委員から相次いで疑問や不安が出されていますが、その議論を深めることもなく、梶田委員長は、学区検討委員会の最終会合を控えた10月26日の新聞紙上で「5学区という案は、途中経過だと認識していただいて結構」「5年ほど先でしょうか、そう遠くない将来もう一度、学区数と入試制度を抜本的に見直す必要があると考えています」と発言し、さらなる学区拡大への意思を明らかにしています。これは、今回の5学区再編にいたる賛否の真剣な議論も無視するものであり、数年おきに学区変更が続くことになる本市では、中学校における進路指導にも混乱と困難をもたらすもので、芦屋市として反対の表明を行うよう求めるものです。
  教育委員会の考えをお示し下さい。


■平和行政について

 平和行政に関連しては、わが党を代表した木野下議員の総括質問に対する市長答弁の「選挙を利用したくもありませんし、選挙に利用されたくもない」という発言があったのがちょうど一年です。
 この問題では、平和行政にとどまらない選挙と政治の関連性における基本的な問題として、私自身が昨年の6月議会と9月議会で続けてとりあげたわけですが、いまだ決着がついたとは思っておりません。
  しかし、今日は時間の制約もあるので、この問題はまたの機会に譲るとして、平和行政自体に関連して質問をいたします。

さて、「選挙を利用したくもありませんし、選挙に利用されたくもない」という市長発言のきっかけ  となった広島市長提唱の国際組織、平和市長会議への加盟は、昨年の6月1日申請で7月1日加盟登録がされたところです。すでに全国の市の8割を超えて加盟していますから、遅すぎるということはないにしても遅まきながらの加盟であることは確かであります。
  いずれにしても、本市が27年前に市議会で非核平和都市宣言を全会一致可決して非核平和宣言自治体の仲間入りをして以来、不十分さはあっても続けられてきた本市の平和行政は、国際舞台への直接の参加によって新たなスタートを切ったとも言えます。
  それを受けてか、今年の施政方針で、久しぶりに平和行政に言及している点は、これまでよりも積極的な姿勢とも見てとれるもので、行政姿勢としては前を向いていることは確かであります。
その上で、気がかりなのは、その積極性を保障する財政的措置の低さであります。予算額はわずかに7万8千円、一般会計予算全体のわずかに0.0000019ほどにしか過ぎず、極めて低い水準にとどまっています。この額は近年ほとんど変わりなく、これでは、前は向いていても進んでいることは確認しがたいほどのもので積極性を疑わせるものでさえあります。

  ちなみに近隣他市を見てみますと、西宮市が新年度予算で600万円余り、伊丹市が外郭団体に委託しているものを含むと約130万円、宝塚市が公民館の平和展も入れると約300万円となっており、本市の7万8千円という低さは際立っています。

  いま、核兵器廃絶の課題は、わが国の非核都市宣言運動を含むこれまでの努力によって、一昨年のNPT再検討会議での核兵器のない世界をめざす全会一致の合意など、画期的な前進をみていますが、自動的に廃絶へと向かうものでないことは、核兵器を当面は必要とする「核抑止力論」が一部の国々でなおも払拭されておらず、核廃絶へのプロセスがいまだ定かではないことが示しています。一段の国際世論が求められているところでありますが、今年1月には平和市長会議の第一回国内加盟都市会議が開かれ、次回2015年のNPT再検討会議成功に向けた第一回準備委員会が4月30日からウィーンで始まるのに呼応したとりくみも確認されたところです。この会議には近隣では、西宮市と宝塚市の市長が出席し、神戸市や伊丹市からも代理が出席しています。国際世論を形成する上で重要な位置を占めている平和市長会議への加盟を機に、平和行政の抜本的な強化を求めるものです。

  市長はかつて市長就任間なしの2004年の予算議会において、私の総括質問に答えて「自由主義、民主主義、人権主義、平和主義を基本原則にしている日本国憲法は、すぐれた憲法であると認識しており、尊重しているところでございます。」と、護憲の立場を明らかにされていますが、その憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とうたっています。平和行政とは、平和的生存権を保持せんとする国民の努力の一形態として、国民から行政にゆだねられたものであると言えます。その意味では行政における努力も憲法の要請するところであり、本市においては行政の努力の余地は多分に残っていると言えます。
  財政措置をふくめ、平和行政の強化について市長のお考えをお示し下さい。

■エネルギー政策について

  まもなく一年を迎える東日本大震災は、社会のあり方を根本から問うものとなりました。利益のための効率優先の経済社会から抜け出し、何よりも命と安全を最優先とする日本社会につくり変えることは、政治の喫緊の課題です。
わけても、近い将来必ず発生する南海地震、東南海地震に備える防災対策の見直しと、原発から撤退し、自然エネルギーを軸にした地域社会づくりは、3.11から活かすべき重要な教です。
 ・市長は、この間の議会答弁で「原発を可能な限り抑制し、自然エネルギーへの転換を」との姿勢を明らかにしていますが、原発が残る限り、その危険性から逃れることができないことは福島原発事故が示しているところです。
  再生可能な自然エネルギーへの転換を進めるためにも、可能な限り速やかに原発から撤退することが、市民の安全を守る上でもまたエネルギーの安定的供給からも求められているのではないでしょうか。
  すでに、関西電力は11基すべての原発が停止しており、全国に54基ある原発のうち、今月に停止する東京電力の柏崎刈羽原発6号機以外に稼動しているのは、4月に停止予定の北海道電力泊原発3号機のみであります。原発に代わる発電設備が稼動しており、脅し文句のように言われたエネルギー不足による日本社会の混乱は起きていません。
  夏の電力需要のピーク時をどう乗り越えていくのか、需要をどれだけ抑えられるかの課題はあるとしても、これまでの電力需要のピークは2001年の7月時点における約1億8千万キロワットであり、供給能力の総量が約5千万キロワットである全原発が止まったとしても、わが国には過去最高の需要を上回る約2億キロワットの原発以外の発電設備容量あることを国のエネルギー白書が明らかにしています。
  原発を抑制するだけでなく、原発に頼らない日本社会の実現は可能だということです。
  原発からの撤退についての市長の認識をお示しいただきたいと思います。

 ・原発に依存したエネルギー社会から脱却する方向性として、CO2排出削減という環境対策やエネルギーの安定的効率的供給の視点からも再生可能エネルギーの地産地消が課題となってきます。
すでに全国では、52の市町村が日常生活と農林水産業で各地域内における必要なエネルギーの100%以上を地元産の自然エネルギーでまかなっています。
  本市は、阪神間の都市ベルト地帯にありながらも山や海もすぐ近くにあるという比較的めぐまれた環境にあります。
  昨年の6月議会では、わが党の木野下議員から小水力発電の提案がされたものの、もろもろの問題をあげて、導入に否定的な姿勢を示されました。他地域からの自然エネルギーの供給に期待・依存するという消極的な姿勢を抜け出し、本市においても、風力、水力、波力、太陽光などによるエネルギーの地産地消を政策課題とするべきではないでしょうか。市長のお考えをお示し下さい。

■市政執行における基本点について

 ・(福祉の基本に憲法理念の徹底を)
  高齢者福祉や障害者福祉、児童福祉など、福祉分野の計画の上位計画、マスタープランと位置づけられる地域福祉計画の第二次計画が先ごろ策定されました。
  第二次地域福祉計画の問題点については、所管委員会でも指摘してきましたが、残念ながら正されずに四月からの実施を迎えようとしています。この間、市長に直接確認する機会がありませんでしたので、この機会に福祉の基本にかかわる問題にしぼっておたずねします。
地域福祉計画においては、福祉における市民の権利性が見えにくいものとなっているということを委員会でも指摘しました。パブリックコメントにおける市の説明では、「憲法第25条の理念も含め、同第13条の幸福を追求する権利も踏まえたものと考えています。」と返しています。しかし、憲法12条は、25条の生存権をはじめとする国民の権利が「国民の不断の努力」によって保持されなければならないことを規定しています。行政が国民の権利保障の施策を実施するにあたっては、権利を保持せんとする国民の努力に資するよう、常に権利性を自覚できるようにすることも行政としては重要な視点ではないでしょうか。
  ところが、本市の地域福祉計画では、さまざまな福祉施策を市民同士の「お互いさま」という概念でとらえることを基調として押し出しています。私は市民社会における市民相互の関係性における「お互いさま」という意識を否定するつもりはありません。
  しかしながら、市民の権利に由来する種々の施策を実施するための計画において、市民同士の「お互いさま」を地域福祉の基調とすることは、権利を保障すべき行政の責務をあいまいにし、市民が享受する福祉施策における権利性の自覚を阻害するものとなりかねません。
  現時点において計画はすでに策定済みでありますが、実施過程において計画のもつ問題性を最小限に抑える対策が講じられ、また次期計画策定に活かされることを願う立場から、あえて市長にこの問題での認識をただしておくものです。
  福祉において主権者たる市民の権利を市長はどのように認識しているのか、お答えいただきたいと思います。

 ・(政治家としての最低限のけじめを)
  市政運営における主権者市民の信頼の重要性は論をまたず、山中市長も施政方針で「信頼関係の下での市政運営」を掲げているところです。
  しかし、昨年の6月以来、その信頼関係にひびを入れることになっているのが、市長自身の選挙収支報告における虚偽記載問題です。市民からの告発は昨年の12月に検察によって「起訴猶予処分」となりましたが、今年に入って、市民から検察審査会に不服申し立てが行われ、あらたな段階を迎えています。
  そもそも「起訴猶予処分」とは、不起訴処分の1つでありながらも、他の不起訴処分と違うのが、「犯罪の嫌疑」の存在が前提であることです。すなわち、検察としては犯罪性を認定し、起訴するに足りうると判断しながらも、諸状況からそれを見送ったということです。その諸状況には、犯罪後の情況も含まれるとされていますから、虚偽報告を認め反省を口にし、市長自身の言葉を借りれば「世のため人のためになること」を実践されていることが効を奏したのかもしれません。
一私人であれば、それで済まされるかもしれませんが、市長の立場は、市民に奉仕すべき公務員のトップとしての特別の倫理性が求められています。昨年の6月議会でも引用しましたが、本市の条例「芦屋市議会議員及び市長等の倫理に関する条例」は、その第三条第一項で「市政の不信を招くことのないよう、品位と名誉を損なう行為を慎み、その職務に関して不正の疑惑を持たれるおそれのある行為をしないこと」とうたっています。
  捜査当局によって犯罪性の確認がされたという新たな局面に立って、芦屋市全職員に範を垂れるけじめの付け方が必要ではないでしょうか。
  一般職員であれば、刑事罰が課されない問題でも、戒告や減給、停職、免職などという行政内部の処分は公務員倫理に照らした別の基準で下されるのであり、そのトップにいるのが市長です。
  何か犯罪を犯しても、市長が通学路の安全見守りをしておられるような「世のため人のためになること」をすればそれで済むかのような認識が芦屋市役所内に広がれば、公務員倫理の確立などというスローガンはまさにむなしいものとならざるを得ないのであります。
    公務員のトップとしてのけじめを求め、市長の認識をおたずねします。

<※第二質問では以下を指摘し、再度政治家としてのけじめを求めました>
  今年の施政方針と昨年の施政方針とを比べると、「信頼関係の下での市政運営」にかかわるところで、消えている言葉があることに気がつきました。「市民から信頼される市政を推進するため」として掲げていた「法令遵守」という言葉と「公務員倫理の確立」という言葉です。
  まさか、市長がこの二つの言葉を使うことがむなしくなったからだとは思いたくありませんが、そのようなそしりを受けないためにも、それらに反した場合のとるべき対応を、身をもって示すべきではないかと思います。
  対応の誤りや不十分さに気づいたときは、「君子、豹変す」でよいのであります。それが市政への信頼回復の出発点であります。
  公務員のトップに立つ市長は、立場上最も高度で厳格な倫理観と規律が求められています。

<以上>
posted by 平野 at 20:37| Comment(0) | 政策

2012年01月15日

芦屋市地域福祉計画への意見

  前月から今日まで意見公募がされていた「第2次芦屋市地域福祉計画(中間まとめ)」に対する私の意見をメールで提出しました。以下に掲載します。(なお、12月16日付けブログにも関連記事をアップしていますのでご覧下さい)

s-寒桜全景.jpg
寒桜の全景です(地表間際まで花がついています)
第2次芦屋市地域福祉計画(中間まとめ)への意見

 芦屋市地域福祉計画は、保健福祉の分野別計画のマスタープランとしての共通の理念と基本方向を示す計画とされています。そうであるならば、抜かしてはならないのが、憲法25条との関係です。しかしながら、今回の第2次芦屋市地域福祉計画(中間まとめ)<以下「地域福祉計画」>では、憲法25条との関係は一言も触れられていません。つまり、国民の権利としての福祉の位置づけ、社会保障としての位置づけが全くされていません。ここが最も大きな問題点だと思います。
 その上で、『私たちはみな「受け手」であり、「担い手」でもあるのです。あるときは支え、あるときは支えられるなかでの“お互いさま”の気持ちが、みんなで地域福祉をすすめるうえで非常に大きな力になります。』としていますが、「私たち」とはだれのことなのかがあいまいで、市民と行政との関係性が不明確になっています。当然ながら行政が「受け手」になることはなく、市民の「権利」を保障する主体でなければなりません。しかし、そのような規定はどこにも見当たりません。重大な問題点です。
 《取組の柱3−2》において、市は『「お互いさま」の意識づくり』を推進するとしていますが、憲法12条では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と規定しており、この権利に憲法25条における権利、すなわち社会福祉、社会保障を享受する権利が含まれることは言うまでもなく、あえて市による「意思づくり」を言うのであれば、市民がこの「権利」を意識するとりくみ、まずは「地域福祉計画」のなかで、福祉の「権利性」こそ明確にし強調すべきことと思います。
 以上、基本的な問題点について意見を申し上げますので、計画策定に反映されるよう要望します。
以上

 
posted by 平野 at 21:46| Comment(0) | 政策

2011年12月21日

12月議会での私の本会議質問をホームページ動画でご覧下さい

 先の定例議会での本会議質問が芦屋市議会ホームページにアップされています。ぜひご覧下さい。(12月13日の「一般質問」をクリックすると右側に質問者が表示されます。2番目の「平野貞雄議員」の下の囲みをクリックすると私の質問が始まります)
私の質問テーマは「芦屋病院のあり方について」です。芦屋病院が「市民病院」となる上での問題を、現状の具体的問題を例示して追及しています。

s-右か新病棟.jpg
建て替え新築中の芦屋病院


自己評価・・・テーマを一つに絞ったので、たっぷりと持ち時間(一議員40分)を使って、比較的落ち着いて質問できましたが、二回目の答弁に対しての切り返しは甘かったと感じています。事業管理者が、代議制民主主義だから議会の意見にしたがって病院運営をする旨の答弁をしたことに、三回目の質問での「大博打」についての追及で間接的には批判したことになりますが、ストレートな批判をすべきだったと思います。すなわち、代議制民主主義は自治体としての意思決定における民主制度であり、日常の行政執行において議会の意見さえ聞けば、市民の声を直接聞く必要はないという論理は代議制民主主義の曲解です。だかこそ、芦屋市も「市民参画条例」で市民の参画を重視し、市民意見の直接の反映に努力することとしているのです。この追及は、次回の機会に残すことになりました。
posted by 平野 at 00:09| Comment(0) | 政策

2011年11月14日

第4回定例議会報告から第5回定例議会準備へ

  先の定例議会(第4回定例議会)報告をいろんな機会にしていますが、今月末には今年最後の定例議会の日程(議案説明会)が入ってくるなど、早くも次の議会の準備の時期となりました。  
  芦屋市議会ホームページに先の定例議会の質問の録画がアップされています。9月14日をクリックすると、右側に質問者が表示されます。6番目の「平野貞雄議員」の下の囲みをクリックすると私の質問が始まります。ただし、ご覧いただけるのは、今年の12月議会までのみです。以降は12月の質問録画に変わります。)

s-芦屋川沿いの桜の紅葉.jpg
紅葉の進む芦屋川のさくら(阪急芦屋川駅より望む)
posted by 平野 at 23:55| Comment(0) | 政策

2011年10月06日

9月定例議会が終わりました・・・決算反対討論に立ちました

  議案説明を入れると事実上8月末から始まった9月定例議会が、今日閉会しました。決算以外の議案については中日本会議で採決済みなので、今日はその後に審査された2010年度平成22年度決算のみが議題で採決に付され、賛成多数で認定されました。日本共産党を代表して私が、認定反対の討論に立ちましたので、少し長いですが以下に掲載します。ご覧いただけると幸いです。
  なお、芦屋市議会ホームページで討論実況を録画再生でご覧いただくこともできます。(10月6日の右の囲みをクリックすると再生がスタート。委員長報告のすぐあとが私の討論です。なお、9月議会の録画再生は12月議会までの間のみ可能ですのでご了承ください。)

s-ナンキンハゼ.jpg
雨露を浮かべるナンキンハゼの葉


<2011年度決算討論>

 日本共産党を代表して、2010年度平成22年度の芦屋市一般会計、国民健康保険事業特別会計、老人保健医療事業特別会計、後期高齢者医療事業特別会計、三条・津知財産区会計の5会計決算の認定に対する反対討論を行います。

■構造改革路線からの脱却は急務

  新自由主義にもとづく構造改革路線による地域経済の疲弊と地域社会の崩壊の中で起こった半年前の3.11東日本大震災は、17年前に近くになる1.17阪神淡路大震災以上に、この国のあり方を問うものとなりました。それはいま被災地の復興のあり方をめぐっても鋭く問われています。
  わけても、地域を原発利益共同体に組み込み、沖縄などの基地依存経済と同様に自主的な発展を阻害する原発依存と、意図的な想定外によって国民の安全よりも電力会社を中心とした原発共同体の利益を上においたこの国のエネルギー政策の帰結とも言える福島原発事故は、日本社会のあり様、地域社会のあり様を問い直す象徴的事件となりました。
  日本社会の歪みは、世界に目を向けたときにより鮮明に見えてきます。リーマンショックまでの10年間において、カナダを先頭にアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツなどG7における日本以外の各国が軒並みGDPを大きく増やしている中にあって、日本だけが横ばいで経済運営の失敗を露呈した背景には、大企業の利益溜め込みである内部留保が200兆円を越え、いまや250兆円を越える巨額に膨れ上がる一方で、構造改革路線の政治による官民問わない賃金抑制策によって雇用者報酬が減り続けた、10年で17兆円も減り、日本社会全体の消費と生産を冷え込ませたことがあります。
  日本経済の発展と言う視点からも、構造改革路線からの脱却は急務といえます。
  構造改革路線を進んできた本市の行政もまた問い直さなければならない時期に来ているとの問題意識をもって、以下大きく4点にわたって反対討論を行ないます。   
  

■ 反対する一つ目の視点は、市民生活への対応です。
 
  市長は、財政状況とあわせて市の施策の水準が他市より高いことを、市民要望に応えない理由としてあげることがよくありますが、はたして実態はそうでしょうか。
  自治体行政の根源的な使命は、住民福祉の向上であり、つきつめれば社会保障の具体化です。最も困難なところに、支援を求めているところに、その光が当てられているかが問われるところです。

  例えば―

●援護資金・・・生活困難の最後のセーフティーネットは生活保護であり、これは国の受託事務ですが、その手前の施策の一つである「援護資金」は自治体の単独事業として、各市の姿勢が示される施策です。
 本市での利用状況は、きわめて低い状況で推移しているが、その要因として、対象者数の少なさだけでなく、他市に比べて基準の厳しさがある。本市では所得基準は、生活保護基準の1.2倍までであるが、隣の西宮では1.5倍までを対象とし、しかもそれを超えても状況に応じて柔軟な対応をしている。尼崎も同様に1.5倍まで認めて、より広く救済できるようにしている。

●就学奨励費・・・決算委員会での討論でも森議員が指摘したように、本市の所得基準は阪神間他都市に比べて厳しく、西宮市との差が約30万円もあり、西宮では支給対象となる多くの世帯が本市では、所得オーバーとなって対象からはずされてしまっています。

●子ども医療費・・・ようやく7月から入院については他市並みに中学卒業まで無料制度の拡充がはかられましたが、通院の無料制度は今だ2歳児までにとどまり、中学三年生までの西宮市には大きく引き離されているのをはじめ、伊丹、宝塚、川西の就学前までと比べても本市の低さは際立っています。

 施策水準が低位で推移しているだけでなく、生活支援における財政支出の面で、後退姿勢にさえなっているのが、国民健康保険です。
  高すぎる保険料が市民生活を圧迫していることは、本市においても例外ではなく、その負担軽減はまったなしの課題となっています。具体的には、一般会計から国保会計への法定外の繰り出しによって保険料の引き下げを行うことが求められており、本市においても繰り出しを行いながら、その額が決算年度の平成22年度では前年度よりも減額になっています。
  予算段階で1億4千万円、決算でも約8800万円の減額で、前年度並みに繰り出していれば、保険料引き下げになったことは明らかです。結果としてほとんどが執行されなかったとは言え、年度途中で2億円の繰り出し補正を組んだことは、財源としては可能であったことを示しており、ひとえに市長の政治姿勢の問題であろうと考えます。


■反対する二つ目の視点として、財政構造上の問題です

  本市における市民生活支援の弱さは本市の財政構造にも見て取れます。
  市長は、民生費が公債費を除く財政支出の費目ごとの比率で、トップであることを強調されたが、阪神間ではどの市でもトップは民生費であり、本市だけが自慢できることではないのが実態です。むしろ、本市において土木費がトップである時期が長く続いていたこと自体が問題なのです。
  今回、指摘しておきたいのは、同じトップの中にあっても、その比率の低さでは芦屋市が群を抜いていることです。
  民生費とは基本的には福祉の費目であり、社会保障の費目と見てよいと思います。各自治体行政の市民生活支援の姿勢が示される費目だと言えます。
  そもそも公債費の高さにも、かつて市長が使った言葉を使えば「米櫃に米がないとき」に不要不急の事業に手を出した結果という問題がありますが、今回は借金返済である公債費の多寡に関係なく、その時々の行政姿勢がよりわかりやすくなるように、公債費を除いた支出での民生費の比率を見てみたいと思います。
  財務統計からひろった数値によると、民生費の比率は、尼崎が45.6%、宝塚が42.9%、西宮が42.8%、伊丹が41.0%、川西が40.1%と、いずれも40%台ですが、芦屋は34.4%と大きく落ち込んでいます。
  いまひとつ別の指標で本市の財政を見ても同様に、やはり生活支援の弱さが見えてきます。民生費のほかに教育費の就学奨励費なども含む扶助費(社会保障の一環として対象者個人に給付される現金・現物の経費)の比率でも、本市の低さは際立っている。これを生活保護対象世帯など所得階層構成比率の違いによる対象数の少なさということだけでは合理化できないことは、扶助費の一つである本市のこども医療助成の水準の低さを見ても言えることです
  これも財務統計の数値を借りると、尼崎が30.1%、西宮が23.8%、伊丹が23.6%、宝塚が21.7%、川西が19.5%と、いずれの市でもほぼ2割ないしこれを超える高さの水準であるのに対して、芦屋市は12.2%と群を抜く低さです。
  市民一人当たりでみると、尼崎が13万3253円、西宮が7万8520円、伊丹が7万7142円、宝塚が6万6735円とつづき、川西が大きく減って5万6562円ですが、芦屋はさらに減って5万4075円という低さです。
  この施策水準の低さの一方で、貯金である基金残高は阪神間でも群を抜いて多く、市民一人当たりでは西宮市の約4倍にもなることを指摘しておかなければなりません。


決算年度までの5年間の財政の推移をみると・・・・市債は常に当初計画よりも年度末には残額が少なくなっています。これを一概に悪いと言っているわけではありませんが、財政再建優先という市の姿勢の反映であることは確かでしょう。
  一方で基金残高は、当初見込みよりも決算の時点では毎年大幅に増えています。
例えば、決算年度22年度の年度末残高では、22年の長期財政収支見込では121億円でしたが、22年度も終わりに近づいた23年の2月時点では141億円、そして出納閉鎖を経た決算では173億円となっています。
  かつては財政基金が枯渇する危機が強調された時期がありましたが、現実には逆に増える状況が続いてきました。財政危機を強調して生活支援にかかわる市民要望を抑える結果となってきたのではないでしょうか。
  財政運営の大きな問題だと考えます。財政見通しの精度を高め、市民生活の大変なこの時期であるからこそ、財政を市民生活に有益に活用していくべきです。


■反対する三つ目の視点は、住民生活を支える保障としての自治体の体制です。

  この5年間に、正規職員が60名減少し、いまや芦屋市の行政で仕事する4割が非正規の職員となっているという現実があります。このことが、市役所の職場に労働強化を強いていないと言えるでしょうか。休暇をとりにくくしていることにそれが反映しているのではないでしょうか。
  この5年間の年次有給休暇の取得状況を見ると、
18年度の全職員平均が年間11.98日、これが19年度には11.62日、20年度には11.47日、21年度には10.43日、決算年度の22年度にはついに10日を割り込んで9.68日とこの5年間に確実に減ってきています。
  住民自治の担い手の主役はもちろん主権者である市民ですが、プロ集団ともいえる行政職員も自治の重要な担い手です。
  その行政職員が、4割は低賃金である非正規の身分であり、正規職員においても適切な休暇もとれないという状況にあって、命と健康を基本とする住民の利益を守ることができるのか、問われるところです。

  また、民間活力の導入を口実として、また職員削減の手法としての指定管理者制度の導入は、各分野における行政のノウハウの喪失であり、また一面では住民への過重な負担の転嫁となっています。
  自治体としての行政組織の有りように大きな歪みが生まれているのではないでしょうか。行政自らがそれをつくりだしているのではないでしょうか。警鐘を鳴らす意味でも、この点を、決算認定の反対理由として指摘しておきます。

■反対する四つ目の視点は、市長の政治姿勢にかかわることです。

  決算委員会の審査で、公共工事おける入札における落札率の高さ、わけても予定価格の100%での応札について、当局の認識を質したことに対して即座に「問題はなかったと思っている」との答弁が担当から返ってきました。それに対して市長から意見が出なかったことを指摘するまでもなく、この種の問題に対する市長の姿勢の反映であることは確かだと思います。  
  決算年度9月に入札のあった業平公園便所棟建て替え工事、12月に入札のあった親王塚公園整備工事、同じく12月に入札のあった交通バリアフリー道路改良工事、これらはいずれも参加した業者がすべて予定価格の100%で応札しています。
  委員会でも森議員が引用しましたが、10年前の助役収賄事件で設置された「入札・契約制度改善委員会」が出した「提言」は、次のように指摘しています。
 『100%又はその近似値での落札は、真実入札参加業者間に公正な競争があったかどうか疑問なしとしない』
 言い換えれば、「公正な競争があったか疑問をもちなさい」少なくとも問題意識をもちなさいということだと思います。
  市が設定し、事前に公表している予定価格が、受注業者の正当な利益も含む適切なものであれば、業者側に受注意欲がある限り、少しでも予定価格を下回る金額で応札し、自社が落札することをめざすはずです。
  当局は、業者側が市に指名されたので入札に参加はしたが、他の仕事が競合して受注したくなかったなどの事情が重なったのではないか、などという憶測の説明をしましたが、参加した何社もが同時にそのような状況下にあったとは考えにくいというのが普通の受け止めではないでしょうか。
  
  もしくは、指名されたすべての業者が受注意欲をもてない、利益を見込めないほどの不適切な予定価格の設定であったということになるのではないでしょうか。この可能性も十分にあると思います。その場合は、健全な市内業者を育成していくという観点からも、公共事業における予定価格の設定に問題ありということにもなります。
  いずれにしても、当局は入札結果に問題意識をもち、業者側に事情を聴取し、憶測ではなく各事例についての正確な認識をもつ必要があります。まず、これが出発点です。
  
  しかし、残念ながら当局からはそのような姿勢さえ見ることはできなかったというのが決算委員会での対応でした。
  公金支出にあたっての公正さにおける緊張感の希薄さ、あるいは欠如ともいえるものであり、市長の政治姿勢が色濃く反映したものとして指摘しておくものです。

  市長の政治姿勢にかかわる二点目の問題は、決算年度の最後の議会における市長の発言において示された政治姿勢の問題であります。
  平和市長会議への加盟の時期を質したことに対して「選挙に利用したくもありませんし、選挙に利用されたくもない、そういうしかるべき時期」と答えたことは、単に平和市長会議の加盟問題、あるいは平和行政にとどまらない、政策と選挙、政治家と選挙の関係をどうとらえるのか、つまり、市民の審判を仰ぐ選挙に当たっては、政治家はみずからの政治理念を政策として市民に具体的に示すべきであるということにかかわる重大な問題を含んでいると認識しています。
  6月議会と今議会で、ていねいにその問題点を指摘したところでもあり、この場でそれを繰り返すことはしませんが、決算年度中の発言であること、わかりやすく言えば市長のこのような問題発言も含めてその活動に給料が払われた年度の決算であり、決算認定に反対する理由の一つとして指摘しておくものです。
  なお、市長がいまからでも問題の答弁を撤回あるいは修正することを求めるものであることを申し添えておきたいと思います。


○後期高齢者医療事業会計

  75歳以上の人々を家族からも切り離して、特別の医療制度に囲い込むという差別性と負担を押し付けるとんでもない制度であり、速やかな廃止を求める立場から反対します。

○老人保健医療事業会計

  後期高齢者医療制度の導入に伴ってなくなる会計ですが、高齢者医療にはじめて制度的な差別をもちこんだものとして反対してきたところです。世界広し言えども、高齢者への医療に限って診療報酬を低くするなどの手段で医療を制限する国は日本だけであり、人権の面からも許しがたい医療制度として、この制度の最後の決算においてその点を強く指摘しておくものです。

○三条・津知財産区会計

  日米の軍事一体化がさらに進んでおり、基地の一種である通信施設についても共同利用されることによって、米軍に対する攻撃意思をもって日本の自衛隊基地が攻撃される危険性は皆無とは言えません。むしろ、イラクやアフガニスタンをはじめとして今日の反米テロの広がりがみられる状況下では、危険性が増していると言えます。
非核平和都市宣言を行っている本市にとって、通信基地の存在はふさわしくありません。よって、防衛省への基地用地の貸与を内容とする同財産区会計に反対するものです。いま

税と社会保障の一体改革は、国民の貧困化をさらに推し進める

  国はいま、税と社会保障の一体改革の名で、増税と社会保障の改悪を進めようとしています。OECDのデータによれば、現状においてさえ日本ほど税と社会保障がその役割、所得再分配と生存権保障を果たしていない国はないということが示されています。
  例えば、フランスでは24.1%の相対的貧困率を税と社会保障によって6.0%にまで下げています。ドイツでも20.5%を8%に、イタリアでも21.8%を11.5%に、イギリスでは19.9%を8.6%に下げています。しかし日本では、16.5%が13.5%にしか下がらず、税と社会保障が国民の貧困を解消する効果は、先進17カ国の中で、アメリカよりも低い最低のランクです。

  構造改革路線の延長である税と社会保障の一体改革は、国民の貧困化をさらに推し進めることになりかねません。
  地方政治にかかわるものが、常にその視座を住民生活において、みずからのあり様、すなわち行政のあり様、議会のあり様を問い直すことが求められていることを指摘して、2010年度平成22年度芦屋市各会計決算認定に対する反対討論とします。
posted by 平野 at 20:09| Comment(0) | 政策

2011年09月29日

数字から見えてくる芦屋市政・・・決算審査

  予算書にしても決算書にしても、とにかく膨大な数字が並ぶのですが、かつて「とにかく数字との格闘、数字を追っていけば何かが必ず見えてくる」と言われたことがあったように思います。現実にはそう簡単には「何か」が見えてきませんが、かと言って、当局から提出されるこれまた膨大な文書類を見ていても見えてくるというものでもありません。・・・と、言うわけであ〜でもない、こ〜でもないと数字を見ながら考えている (もちろんある程度の方向性をもってのことですが・・・) と、確かに見えてくるものがあります。

s-決算審査に関わる資料.jpg
決算審査にかかわる資料の山

  今回の決算審査では、芦屋市の財政構造の際立った特徴が見えてきました。山中市長は最近、財政を語るときに「民生費」の比率が費目の中ではトップであることをしきりに強調します。「民生費」とは福祉を中心とした費目で、「市民生活を何よりも大事にしている」と言いたいのでしょうが、ほんとうにそうでしょうか?

実は、芦屋市だけでなく阪神間のどの市でも「民生費」がトップの比率なのです。むしろ、芦屋市が長く「土木費」がトップであったことにこそ問題があったのです。しかも「民生費がトップ」というその中味を見ると、逆に芦屋市の市民生活に対する行政姿勢の弱さが見えてきます。

過去の借金の返済という性格もある「公債費」を除いた財政支出の中に占める「民生費」の比率を見ると、何と芦屋市が阪神間でも最低レベルであることがわかってきます。西宮市が42.8%、尼崎市が45.6%、伊丹市が41.0%、宝塚市が42.9%川西市が40.1%であるのに対して芦屋市は34.4%。市民一人当たりでも川西市に次ぐ低さの5番目です。一人当たり市民税収入が全国一、市の貯金である基金の市民一人当たりでも阪神間トップであることを考えれば、芦屋市の行政姿勢がけっして「市民生活優先」とは言い難い実態であることが示されています。
他にも数字から見えてくる芦屋市の問題点がいろいろと・・・それはまた追って―。

s-めだか点描@.jpg
めだか点描(水草の間を泳ぐめたががみえるでしょうか?)
posted by 平野 at 22:15| Comment(1) | 政策

2011年03月11日

芦屋市人権教育・人権啓発推進指針に異議あり!

◎芦屋市がパブリックコメントを実施した「第2次芦屋市人権教育・人権啓発に関する総合推進指針」(素案)[以下「素案」]に対して、以下のような意見を提出しました。

 まず、人権教育・人権啓発とはどのようなものなのか、果たして必要なのか、との疑問を持ちます。「人権教育」というものが、市民一人ひとりを権利の主体と捉える「人権についての教育」であるならば、人権がいかにして獲得されてきたのか、いかにして守らなければならないのか、現状はどうかなど、「教育」の意義を否定するものではありません。しかしながら「素案」から伝わってくるのは、他人の人権を「尊重しましょう」というものであり、権利の主体としての市民という認識の希薄さを感じます。

 ましてや「人権啓発」となれば、啓発するのは行政であり、啓発をされるのは市民であるという関係が前提にされていると思いますが、市民の理解が「不十分」であるから行政がそれを変えるという行政の「上から目線」を感じざるを得ません。そもそも「人権」は長い歴史の中で時の権力から、たたかいによって獲得してきたものであり、「行政」は時としてその権力側に位置するものであったことを想起すべきです。このとは日本国憲法においても明確に規定されています(憲法97条/この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。)

 人権の尊重を言うのであれば、生存権、教育権、労働権などにおいて侵害されている市民の人権状況こそ直視し、行政としての責務を自覚して施策に反映させることこそ求められている課題だと思います。人権の尊重とは、何よりも自らを尊しとし、自ら誇りをもつことが大前提ではないでしょうか。この点では「素案」の冒頭「基本的な考え方」で「さまざまな人権問題が存在し、その要因として、経済状況の悪化に伴う貧困や所得の格差拡大、心の豊かさを軽視する社会風潮、・・・」と指摘しているように、自らの尊厳を保てない社会の現状があり、そのことについての「行政」の責任が極めて大きいにもかかわらず、「素案」の基調は、市民一人ひとりの「意識」の問題に狭められてしまっていることに違和感をもつものです。教育において言えば、子どもたち一人ひとりが大切にされていると感じる教育こそが求められており、学校間格差をさらに拡大し、受験競争の激化を招く「高校学区の拡大」などは、人権の逆行・後退と言わねばなりません。

 人権への行政の対応は、市民一人ひとりをその主体としてしっかり位置づけること、「啓発」などという行政の奢りを感じさせる施策はやめること、「教育」は一人ひとりが人権の主体であることを認識できる多様な情報提供を基本にすること、行政こそが市民の権利を具体的に守り、保障する施策を推進することを強く求めるものです。

 なお、「同和問題」についてはすでに同和対策が終了し、残る課題については人権全般への対策を含めて一般施策に委ねるべきものとされていることからみて、独自の課題としてとりあげる「素案」のあり方は、適切とは言えないと思います。
その前提として、「市民意識調査」の数値をもって「差別の潜在化」「根深く存在している差別意識」などと見ることは、根拠としてあまりに希薄であり、「素案」がことさらに「意識」の問題に力点をおくことに賛同できません。「同和対策」を「終了」した趣旨にも反することであり、「課題」として独自の項を設けるべきではないと考えます。
以上
posted by 平野 at 00:03| Comment(0) | 政策