2015年03月04日

母校関西学院大学の建学の精神「マスタリーフォーサービス」を政治の世界で実践

 今日から50歳代最後の一年が始まります。
生まれは、奈良県北部、生駒町(現生駒市)で、小規模の専業農家に生まれました。営農や内職としての地域特産の茶筅づくりなどを目の当たりにして育ちました。小学校二年までは、自宅のすぐ横にある山の上の分校に通ってましたが、三年生からは、スクールバスで本校に通い、五年生からは中学にかけては、自転車通学で、30分近い道のりを通学しました。高校のときに転居した金魚の町、大和郡山市から関西学院大学に通学、夜明け前に自宅を出ることもしばしばでした。
 大学では、暴力学生の学園支配に反対して「安心して学べる大学を」と運動の先頭にたちました。二回生のときに「だれもが安心して暮らせる社会」をめざして日本共産党に入党。青年団体の役員として多忙になった四回生のときに、新聞配達などのアルバイトをしながら下宿生活に入りました。卒業後は、社会変革の事業に人生を重ねようと日本共産党の勤務員となり党市会議員団事務局に。母校関西学院大学の建学の精神「マスタリーフォーサービス(奉仕への練達)」を政治の世界で実践する道を選びました。青年運動で知り合った妻と26歳のときに結婚。27歳で市会議員に立候補・初当選。
 「憲法を暮らしに生かす」を信条に、議員活動の他にもさまざまな市民運動にとりくんできました。いま、暴走を続ける自公政権の下で暮らしを脅かす政治が平和をも脅かそうとしています。憲法にもとづく政治で命と暮らしを守るため、初心を貫いてがんばります。
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2012年08月31日

演劇の楽しさを教えてくれた中島淳五さん

8月も今日で終わりですが、今月は年間8回ある神戸演劇鑑賞会(月会費3500円でどなたでも会員になれます)の例会のある月でした。
今月の例会演目は俳優座による「樫の木坂 四姉妹」(作/堀江保夫、演出/袋正)。

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「樫の木坂…」の公演バンフ(左)と鑑賞会例会のリーフ(右)

広島で被爆した姉妹(一人は爆死)のその後の不安と苦しみの中でのそれぞれの生き様を通して、被爆者が「生きる」ことの意味を問う秀作です(・・・というのは、私の勝手な解釈です)。
2010年の初演ですが、2011年の3.11以後の「被曝者」にも通じるものとして、8月という「季節」だけでない「いま」にタイムリーな演目でした。
人間社会を「理屈」だけでなく「感性」で受け止める「大切さ」と「楽しさ」(この「楽しさ」がなければ何事も長続きしません)を
演劇鑑賞を通して教えてくれたのは、当時、日本共産党芦屋後援会会長を務めていた中島淳五さん(故人)でした。
あらためて「ありがとうございました」。
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在りし日の中島淳五さん(党後援会のツアー先で)
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2012年08月27日

ついつい観てしまいました…趣味の映画ですが、今夜はテレビで

帰宅して遅めの食卓について、何かテレビでも見るかと番組を見たら、10年余り前に劇場でみた「鉄道員(ぽっぽや)」をNHKのBS3がやっているので、食べながら観ていたら、最後まで観てしまいました。
浅田次郎原作、降旗康男監督の名作です。主演は高倉健(佐藤乙松役)、その妻・静枝を大竹しのぶが、そして生後まもなく病死しながら、17年後の姿を父に見せるために現れる娘・雪子を広末涼子が演じています。
SLが走り抜ける北海道の大地のなんときれいなことか。
絶対に観て「損しない」いい映画です。見逃した方は、DVDを借りてぜひご覧下さい。
以下、私の感想で紹介に代えます。

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劇場公開時に買った「鉄道員」のパンフレット


廃線間近な凍てつくプラットホームで、ただ一人の「死」を迎えるという悲しいはずのラストが、
逆に観るものの心に温かいものを残すという不思議な映画である。
父・乙松をいたわる一人娘雪子のけなげさにいくどとなく熱いものがこみ上げてきた。
鉄道員であることに頑なであるがゆえに、
娘だけでなく妻も守れなかったという深い悔恨とともに一人寂しく暮らす乙松を、
「短くても幸せだったよ」「いつもお父さんといっしょだよ」
と暖かく包み込むように登場する雪子は、
「ぽっぽや」である父への思いを通して、
鉄道員だけてはない職務上時として家族を犠牲にせざるを得ない多くの男たちに、
称賛といたわりのエールを届けに来たのではなかっただろうか。
そのエールをしっかり受け止めて逝った乙松は、
自らもまた誰にも看取られぬ「ただ一人」の「死」ではあっても、
けっして「孤独」な「死」ではなかったことを、
だれもが感じることのできる映画である。
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2012年07月01日

趣味(その5)…演劇鑑賞<抵抗を貫いたリリアン・ヘルマンの演劇にかかわって>

   昨日は「抵抗」にかかわって書きましたが、それで思い出したのがリリアン・ヘルマンです。アメリカのシナリオ作家・劇作家の彼女は、1940年代から50年代にかけて吹き荒れたハリウッドでの『赤狩り』に抵抗し敢然と立ち向かった映画人の一人でした。
   私が神戸勤労者演劇鑑賞会(神戸労演=現・神戸演劇鑑賞会)の会員として最初に見たのが、劇団民芸によるリリアン・ヘルマンの「ラインの監視〜わたしは生きたい〜」です。

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民芸公演「ラインの監視〜わたしは生きたい〜」のパンフ(左)と労演の「会報」

   ナチス政権下のドイツから亡命してきた反ファシズムの地下活動家であるクルト一家を中心に、同居人である亡命貴族による密告、妻子を残しての地下活動への死を覚悟の復帰など、人間としてどうあるべきかを問いかけ続けた彼女の生き方がストレートに反映した作品に衝撃を受けたこと、そして演劇の「おもしろさ」にとりつかれたことをいまも覚えています。(神戸労演への参加を勧めてくれたのは、芦屋市職員で芦屋市地方労働組合協議会<芦屋地労協>の産みの親であり、当時日本共産党芦屋後援会の会長を務めていた故・中島淳五さんでした)
   民芸公演の「ラインの監視」を1月に観たその年の6月30日にリリアン・ヘルマンは79歳でその生涯を閉じました。昨日が彼女の28回目の命日でした。

   大阪の「維新の会」政治だけでなく、隣の尼崎市でも「日の丸掲揚条例」が可決されるなど、今また歴史の教訓に反して、人々を一つの方向に統制しようとする勢力が出始めています。「国を愛する心」を踏み絵に日の丸への礼や君が代の斉唱を強要する動きが強まる今だからこそ、ヘルマンの次の言葉の持つ意味の重さを自分のものにとして受け止めるその死から28年が過ぎた今日です。

「自分を救うために何年も昔の知己である無実の人たちを傷つけるなどということは、非人間的で品位に欠け不名誉なことに思われます。わたしは、良心を今年の流行に合わせて切断するようなことはできませんし、したくありません。」(下院非米活動委員会による喚問に対する拒否の手紙より)
   

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「ラインの監視」で亡命貴族テック役を演じたのが民芸の伊藤孝雄さん(上写真の左、黄色のリボンをつている)でした。その年の神戸労演30周年パーティーで再会しました(と、言っても同じ会場にいたというだけで、しかも私の目線が???)
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おまけ/伊藤さんとは写真を撮り損ねた私ですが、同年7月の民芸公演「林檎園日記」で伊藤さんと共演した日色ともえさんとはチャッカリいっしょに写真に納まりました(神戸労演30周年パーティー会場で…日色さんと並ぶ28歳の思い出です)
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2012年05月04日

久々に六甲山へ…驚く変化が

  今日は連休中でいちばんまとまったフリータイムがとれたので、お昼過ぎまで六甲山に久々に登ってきました。・・・と言っても時間の関係で、山頂までは行けず、前山の荒地山まででしたが、山にたいへんな変化が・・・

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まずは、すぐ手前の城山から

 まず向ったのは、芦屋市民に親しまれる「城山(鷹尾山)」へ。朝早かったので、逆コースで降りてくる人と途中ですれ違うときは「おはようございます」と挨拶を交わします。
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阪急芦屋川駅前から15分ほどで登山道の入り口に・・・

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落ち葉を踏みしめて・・・

   標高263mですが、運動不足の体にはキツイ・・・山頂までの途中で早くも休憩
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早くも休憩

  曇り空でしたが、幸いに空気は澄んで大阪平野を一望できました
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大阪平野を一望 

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芦屋市花のコバノミツバツツジはすでに咲き終わり、山ツツジが迎えてくれました(上)
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城山の次に向った荒地山を背に休憩 

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登ってきた城山を見下ろす

少し高くなるとコバノミツバツツジがまだ咲いていました。
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コバノミツバツツジ

向う荒地山は標高549メートルの岩だらけの山です
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岩がむき出しになって見える荒地山

ほとんど垂直の岩梯子をのほります(下)
s-Iほとんど垂直の「岩梯子」.jpg

今にも落ちてきそうな岩の下を潜ります(下)
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   休憩したところからは、神戸港を一望でき、沖合いにはゴミの焼却灰の最終処分場である埋め立て区域が見えます(下の写真のやや上側の真ん中の四角い囲い…かなり見えにくいですね)
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巨岩の間から芦屋の街を見下ろす

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荒地山山頂で

神戸からさらに明石大橋、そして淡路島も見えます(下)
s-M明石大橋と淡路を見る.jpg


見晴らしの利くところで少し早めの昼食…手製のおにぎりをパクリ
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大きな切り株の麓に可愛い花が…さてこれは何と言う花?

  人の少なかった荒地山のコースから六甲山頂へのコースに合流すると、休日とあってたくさんの人が行き交っていました。驚いたのが、年齢層の変化で、数年前までは中高年が多かったのですが、何と青年層が圧倒的! とりわけファッショナブルな若い女性がグループで次々と登ってくるのには驚いてしまいました。
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下る途中にある「風吹き岩」は人でごった返していました

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ロックガーデンを下る

  逆コースの登山口となる高座の滝には、水が気持ちよく流れていました(下)。
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   高座の滝のところにある「大谷茶屋」は、私の看板や党のポスターを貼らせて下さっています。ご主人にもお会いでき、ご挨拶しました。
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  五時間ほどの登山でしたが、数年ぶりの六甲山は前山だけでも山歩きの楽しさを満喫させてくれました。
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2011年01月03日

趣味(その4)・・・映画鑑賞

「息子」から知る親の思い
 昨年の正月は、芦屋で過ごした父ですが、今年は「どこへも行きたくない」と出かけるのをおっくうがり、一日の夕刻から家族4人で奈良へ帰ってきました。
 軽い怪我をして1人住まいが急に心細くなったのか、「芦屋へ行く」というので、マンションの空き室を契約しようとしたら「やっぱりやめる」とふりまわされたのがちょうど一年前でした。いろいろと思い悩みながらも結局は40年間住んだ地、そしてなによりも自分が苦労の上に建てた家がやはり心落ち着くようです。奈良から芦屋へ帰るときにこれまでは「また、おいで」だったのが、今年は「また、来てくれるかな」と気弱さを感じさせる言葉になりました。そんな父を見て、思い出しのが映画「息子」です。20年前に公開された山田洋次監督の名作です。主演の三國連太郎が、子どもたちが巣立ち、妻に先立たれて山村で1人で暮らす父親のわびしさと気高さを感じさせる名演技で強く印象に残っています。

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映画「息子」のパンフレットとチラシ 

 父親は都会で暮らすエリートサラリーマンの長男宅へ身を寄せ、マンションの一部屋をあてがわれますが住み心地悪く、手を焼かせてばかりで気がかりの次男のアパートへ。そこで父親は、聴覚障害の女性を紹介して毅然と結婚を宣言する次男に、自立した息子の姿を見て、安堵のうちにまた雪ぶかい山奥の自宅へと帰路に着く。その手には、次男の婚約者から送られたFAX(当時はまだEメールはなく、FAXが聴覚障害者には画期的な情報伝達手段でした)が握られ、村人が暖かく声をかける。
 1人住まいのさびしさを解消するよりも、自立した一人の人間としての尊厳をもちつづけることの気高さが優ることを感じさせる「息子」という名の「親父」の映画でした。次男を演じたのは、25歳の永瀬正敏、そしてその婚約者は21歳の和久井映見でした。心に染入る名作です。
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2010年06月10日

趣味(その2)のメダカが増えました

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左下あたりに二つ並んで光っているのが赤ちゃんめだかの目です

 朝、水鉢のめだかに餌をやっていると勢いよく動くものが・・・。めだかの赤ちゃんです。一匹、二匹、三匹、四匹、五匹・・・・まだ孵化していない卵もありそうですから、急いで親めだかを別の水がめに移しました。そうしないと自分の生んだ子とはわからずに食べてしまうのです。私にとってめだか飼育の「師匠」である松尾西宮市議によると孵化から稚魚、成魚へと成長させていくのがめだか飼育の醍醐味だとか・・・。私は、まだめだか飼育2年の「ビギナー」ですから、ただ見ているだけでも楽しいのですが、やはり孵化したのを見るのはうれしいものです。

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水鉢の上にある鉢植えの屋久島萩

花びらが水面に落ちています(上の写真)
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2009年08月14日

プロフィール・・・反核・平和ひとすじに


一昨年の原水禁世界大会・長崎で(左は兵庫県平和委員会の西澤代表理事)


今年の「6.9行動」で(JR芦屋駅北デッキ上)

 『人類の死活にかかわる最も重要かつ緊急の課題』・・・1984年の原水爆禁止世界大会で採択された「東京宣言」のこの言葉が、まだ20歳代だった私を突き動かし、以降毎月6日と9日に街頭から核廃絶・平和をよびかける「6.9行動」にとりくんできました。先日ついに500回を突破しましたが、もちろん回数を重ねることが目的でなく、「核兵器廃絶」が運動の目標です。とは言え、25年間続けてこれたのは、私の思いだけでなく多くの人たちの思いと一つなれたからにほかなりません。核大国アメリカからも大統領の言葉として『核兵器のない世界を』が世界に発せられる時代になりました。社会を動かし、世界を変えるのも、道理ある人々の声であり連帯の力であることをこの25年の活動から実感をもって学びました。
 「核の傘」から抜け出し、本当の「非核・日本」をつくるのも、この国の主役である私たち国民の声であり運動です。
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2009年05月21日

プロフィール(趣味その3)

カメラたち
10代の時から現在まで使ってきたカメラたち

 趣味と言うほどでもないけれども、けっこう好きなのがカメラでの写真撮影です。もともと、何事もそんなに深くこだわるタイプではないので「極める」努力は全くなしに、ただ気に入った被写体があればシャッターを切る程度のものなのですが、これがブログを始めてからけっこう役に立っています。そろそろ使っていないカメラは処分しようかと思っていたので、最後の記念に手元にあるカメラたちを写真に収めました。
 いまいつも持ち歩いているのは、手前左寄りシルバーのデジタルカメラです。
 その左が最近コープ神戸の宅配で買った一眼レフデジタルカメラ。右側のカメラが最近まで使っていた従来型フィルム式のカメラです。そして奥中央のカメラは、私が高校生のときに始めて手にしたペンタックスの一眼レフ。ずいぶんと物持ちのいい話ですが、いろいろなその時を写してきた思い入れのあるカメラです。などと書いていると、それぞれのカメラへの断ち切りがたい愛着がよみがえってきました。う〜む・・・・・・処分はどうしようかしら?
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2009年04月17日

プロフィール(趣味その2)

めだか

 いちばん最近に趣味に加わったのは「めだかの飼育」です。
 昨年、西宮の松尾正秀議員から数匹を譲ってもらったのが最初で、その後に元西宮市議の立垣さんからも譲ってもらい、現在、水鉢、水甕、水槽の三つに分けて育てています。(写真は水鉢のもの、まわりに水草が繁殖、鉢の中ほどにめだかが泳いでいます。) 条件が違うからか、それぞれに特徴があり、水甕のめだかは、たまにしか水面に姿を現しません。水鉢のめだかはよく泳ぐ姿を見せてくれますが、人の気配を感じるとさっと水草の陰に隠れてしまいます。水槽のめだかは、室内で飼っているせいか、人への反応はそんなに敏感でなく、食欲旺盛で与えた餌をもっとも早く食べてしまいます。
 田舎に住んでいた子供時代にはそんなに興味をもたなかっためだかですが、いまでは「日本めだか」は『絶滅危惧種』になっているとか・・・・。飼ってみると、なかなかかわいいものです。まだ、1年経っておらず、今年は卵から繁殖させたいと思っています。
posted by 平野 at 23:19| プロフィール