2018年02月20日

直接請求による臨時市議会を振り返って…

 予算議会が始まりましたが、直前に開かれた臨時議会について振り返っておきたいと思います。「市立幼稚園・保育所のあり方」に関わって地方自治法にもとづく直接請求が市民からなされたことによる臨時議会でしたが、単に一つの政策の是非にとどまらない住民自治にかかわる重大な問題をはらんだ議会だったからです。
 直接請求で出された条例案は、統廃合計画である「市立幼稚園・保育所のあり方」の一環として昨年の9月議会で決められた市立朝日ヶ丘幼稚園、同精道幼稚園、同精道保育所の廃園(所)条例を廃止すること(=3施設の存続)、市立幼稚園で3歳児保育を実施することが内容で、最終的にはあしや新政会、公明党、日本維新の会などの多数で否決されました(賛成は日本共産党3名ほか計6名)。
問題は、条例案の審査を通じて、直接請求自体を否定する暴論が市長や一部議員から出されたことです。
 市長は、2月5日の民生文教常任委員会での審査において、当日先に開かれた本会議でわが党のひろせ議員が「直接請求が出されたということは、市長や議会に民意が反映されていない、ということである」と指摘したことに対して、「耳を疑う」と言いました。しかしその市長の発言を聞いた多くの市民が耳を疑ったのではないかと思います。
委員会で私からも紹介しましたが、出版当時に内閣官房副長官や全国知事会事務総長などが編集顧問に名を連ねた「実務地方自治講座」は、直接請求について次のように解説しています。
「直接請求制度は、現在の地方自治制度が基本的によって立つ間接民主制の欠陥を補い、住民の意思を直接地方行政に反映させるためのものである。」

つまり、議会による間接民主主義が民意を反映していない場合において、民意反映の主権者の権利としてあるのが直接民主主義の制度である直接請求だということです。ひろせ議員は、それをそのまま言ったに過ぎないわけで、それに「耳を疑う」と返した市長こそ、今日の地方自治制度への無理解を示したわけで、6期も市会議員を務め、市長としても4期目にある方からの言葉とは思えない、まさに「耳を疑った」というのが、市長の発言を聞いた市民の反応です。
住民の意思、民意が市政、市議会に反映していないからこそ直接請求がだされるのだということです。そしてそれが有効な民意であるとする前提として、有権者の50分の1などの条件が設けられているわけで、今回はその法定数の4倍に相当する6304人が賛同していて、間違いなくここに民意があるということを市長や議員は謙虚に受け止める必要があります。もちろんそれに対して政策的判断から賛成、反対があることまで否定するものではありません。大事なのは大前提において、直接請求として出されたことの重みをしっかりと認識することです。法の趣旨に基づいて、正当な手続きによって成立して出されているのですから、「耳を疑う」ようなことでは毛頭ないのです。
議会との関係もおのずと明白であり、今回の直接請求に賛意を示すことが議会制民主主義を軽んじているなどと言うことにならないことはあまりに当然です。そもそも地方自治法が議会制民主主義という間接民主主義には民意を反映する上で欠陥があると考えているからこそ直接民主主義の直接請求制度が設けられているわけですから。この関係性が理解できないと、議会あるいは議員の側が、直接請求が出されると自分たちが否定されているかのように受け止めてしまい、「議会のプライド、議会の権威を守ってほしい」などという市長の発言になるのです。市長が委員会で言ったような「議会の議決が最後であり最高である」と言って直接請求制度を低く見るなどというのは、そもそも地方自治法の理解が間違っているのです。「条例案に賛成する議員はよもやおられないと思う」との発言と併せて、傲慢のそしりを免れないものです。
はからずも、市民からの直接請求によって、市長や一部議員の地方自治なかんずく住民自治についての認識の程度が市民の知るところになったわけですが、これを契機に、芦屋市議会が真に住民自治の機関として発展することを願わずにはおれません。私自身がそこに身を置くものとしてさらに力を尽くしていきたいと思います。

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2018年01月01日

あけましておめてとうございます

あけましておめでとうございます
(以下は、公職選挙法上認められた親戚や同窓、親しい友人宛に出した年賀状です)

新年をいかがお迎えになられたでしょうか。わが家では昨年、貞雄が市議在職30年を越えました。千歳は今年がいよいよ50代最後の年です。96歳になる貞雄の父の見守りに奈良まで毎週通う日々ですが、そのような中にも、昨年も二人で信州を訪ね、満天の星空とゆったりの温泉を楽しみました。29歳と26歳になる二人の息子は東京と三重の赴任先からたまに帰ってきます。
貞雄も関わってきた核兵器廃絶は禁止条約で大きく前進。一方、国内では数を頼みの強権政治の下で危うさが増しています。同時に市民と野党の共闘が新たなステージを切り開き、明日への展望を示しているのは嬉しいことです。それを前に進めるとりくみが地域から広がる年にしたいと思います。
みなさまにとりまして、今年が良き年になりますように・・・本年もよろしくお願い申し上げます。

2018年1月      
〒659-0051芦屋市呉川町5-5-104 0797-22-0248
平野 貞雄・千歳
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2017年12月19日

懲罰の不当な決定は、言論の府としての芦屋市議会が問われている!

芦屋市議会で多数によって私に科せられた不当な懲罰について、市民のみなさんからも、批判の声が寄せられています。あらためて、その経過や不当性を市議会での懲罰に対する18日本会議での私の「弁明」でお伝えしたいと思います。
●懲罰動議に対する18日本会議での弁明
 まず申し上げておきたいのは、懲罰動議も処分要求もいずれとも事実誤認も含めた極めて不当なものであり、特別委員会が懲罰を多数で決めたことは、不当性をさらに深めるものであって、芦屋市議会における汚点を作ることになるということです。

 14日の本会議で、懲罰動議の提出を受けた弁明においても述べ、先の委員会審査でも森議員からも指摘がありましたように、私は議長の時間超過の注意を受けて発言を終ろうとしていたのであり、いたずらに発言を伸ばす意図などは毛頭なかったということです。ただ、当局の答弁をうけて最後のまとめの段階で図らずも時間が来てしまい、まとめの論理展開を途中で切るのは不自然との判断から、数十秒の発言をしたところです。
 背後からの中島健一議員らの執拗な不規則発言に戸惑いながらも、議長の議事整理については妨害の意図などさらさらなかったことは、時間超過、発言終息の注意に対して、無視や抵抗するのでなく「もう終ります」と受け止める意思を伝え、実際に新たな質問に入るわけでもなく終ろうとしていたことによっても明白です。議会秩序は保持されていたわけであります。
 もし、議会秩序を言うのであれば、認められない不規則発言いわゆるヤジを執拗に繰り返したことこそ、秩序を乱しており、地方自治法132条の「品位の保持」に反するものであったと言わなければなりません。加えて、議長がそれを制止しなかったことの方が、議事整理上の問題であったと私は思います。

 議長、当時は帰山副議長ですが、マイクスイッチを切ったことは、その予告もなく突然で私も驚きましたが、乱暴な議会運営だったのではないかと思います。ですから、質問終了後に自席へ戻る途中において、その点を問題点として指摘しました。ただ、芦屋市議会史上も極めて異例なマイクを切るという事態は、中島健一議員による執拗な不規則発言の繰り返しがあっと言う背景なしにはあり得なかったのではないかと、芦屋市議会のこれまでの質問時間超過に対する議事運営の実際からも思うところです。

 委員会審査の中で森議員から紹介もありましたように、全国市議会議長会の事務局次長などを務め、議会運営についての専門家である中島正郎さんが、議事運営の著書の中で記されているように、質問時間の超過に対しては、制限時間を機械的に適用して発言の途中で切るのではなく、まとめる時間的猶予を発言者に与えて終らせるというのが常識的対応であるというのがいわば通説です。そこには、言論の府としての発言、わけても質問等本会議発言は最大限に保障されなければならないと言う議会の民主的運営の理念があります。そのことを踏まえた上での時間制限などのルール化であり、私自身、はなからそれを無視する意図などなかったことは先にも申し上げているところであり、これからもルールを守る意思に変わりはありません。

 本市議会の基本条例においても、その前文で「より良い芦屋市の姿を市民とともに考え、さらに豊かでしっかりとした議論ができる議会を目指してまいります」と謳い、第三条において「議会が言論の府であること及び合議制機関であることを十分認識し、積極的な発言、議論等を行なうこと」と規定していることは、議会における発言の重要性を端的に言い表しているものであります。

 中島健一議員からの処分要求についてでありますが、侮辱の受け止めが個々人によって異なる主観の問題であることは論を待ちませんが、議会での認識の共有には、一定の客観性が求められるものです。14日の懲罰動議に対する私の弁明において、中島健一議員の不規則発言について述べたのは、事実経過の説明に過ぎず、そこに何らの侮辱の意図などなかったことは、先にも申し上げたところです。その点で、特別委員会が事実経過の説明にすぎない私の発言が侮辱にあたる客観性があると多数決で判断したことは、極めて遺憾です。社会常識的判断でなく、主観の多数をもって客観性が担保されたかのような今回の特別委員会の判断は、懲罰動議に対する判断に加えて、芦屋市議会史上に市民感覚からかけ離れた新たな汚点を生むものだということを指摘し、議員諸氏の賢明なご判断を期待して、私の弁明の発言とします。                       以上

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2017年03月31日

新年度予算への反対討論…幼稚園・保育所統廃合は撤回を

《3月24日の最終本会議で、日本共産党芦屋市会議員団を代表して予算案への反対討論に立ちました。以下に全文を掲載します。》

日本共産党を代表して平成29年度2017年度一般会計、介護保険事業特別会計、後期高齢者医療事業特別会計、三条津知財産区共有財産会計の4会計予算案に反対の討論を行います。

地方自治体をとりまく状況は、現年度から導入の地方交付税におけるトップランナー方式による財政削減の圧力や沖縄に見られるように政府方針に沿わない地方政治には有無を言わさぬ強権政治の発動など、地方自治に逆行する厳しさが増しています。

同時に、国民生活は政府の経済政策のゆがみを受けて、暮らしづらさをいっそう増しています。家計消費支出は対前年比で減り続けています。

このような中で、地方自治体としての姿勢が問われています。国の政治に対する姿勢、そして市民に対する市長の姿勢が問われています。

一般会計の新年度予算では、山手中学校や精道中学校の建て替え事業など、待ち望まれてきた事業、大学入学支度金のように日本共産党として求めてきた学生生活への財政的支援の一助となる施策、関係者の切実な願いであった精神障害者医療助成の拡大など、市民要望に応えた事業や施策が含まれ、それらに反対するものでないことは当然のこととしながら、なお賛成しがたい問題を含む予算であり、全体としては反対するものです。

施政方針で市長は、「一億総活躍社会の実現」など国の政策と自治体の取組が一体となって、地方創生を進展させなければならないとして、「世界でも特別なまち」であり続けることを掲げていますが、ことさらに特別である必要はなく、地方自治体としての本来の役割が十分に果たせること、そのためにも地方自治体としての行政運営にさまざまな制約を押し付けてくる国の政治にしっかりとした問題意識をもって臨むことこそが求められていると思います。

地方自治体としての本来の役割とは、住民の福祉の増進であることは論を待たないわけですが、市民生活の現実に行政としての視座を据えてこそ果たせる役割であろうと思います。今日の日本経済の低迷と国民生活の厳しさは、本市においても例外ではないことをこの間に繰り返し指摘してきましたが、今年の施政方針においてもそれを直視する視点は見えてきません。そのことが、山中市長による市政執行に制約を作り出していると言えます。行革の理由とされた震災後の負債が作り出した財政上の制約が、大きく取り払われたことは当局も認めながら、市長の政治姿勢による新たな制約が市民の願い実現を阻む要因として生まれていると言えます。
その典型として今回表れたのが、幼稚園・保育所の統廃合計画ではないでしょうか。施政方針で市長は、「子育てにおける多様なニーズへの対応と子どもたちの個性に応じた最適な環境整備が必要です。幼稚園と保育所の全体的な見直し、子育てにおける本市の強みも継承しつつ、官民が互いの良さを発揮しながら、オール芦屋で推進する体制を構築してまいります。」と述べていますが、その具体化として新年度予算に盛り込まれているのは、市立打出保育所を民営化するための事業者選定委員会の予算です。そのどこが「最適な環境整備」なのか、「本市の強み」の継承なのか、「互いの良さの発揮」なのか、市民からの厳しい批判に晒されているのは当然です。

市が2月に示した幼稚園・保育所統廃合計画の具体化が始まる予算であるだけに、一般会計予算に反対する理由の一つとして、まずこの計画の問題点に触れておきたいと思います。

市は今回の統廃合計画を保育所の待機児解消策として市民に説明していますが、374人の定員増加分のうち284人は、市立の幼稚園・保育所の統廃合とは別に誘致する民間園によるものであり、統廃合によって増員となるのは90名にとどまります。
市立打出保育所と市立大東保育所は、民営化によっても定員に変化はなく、まったく待機児解消には結びつかないものです。
それなのになぜ、民営化なのか。市の説明で出てくるのは、打出と大東の2保育所の保育士に相当する31名の保育士が今後の数年間で定年退職を迎えることですが、保育士ならば募集すればよいことであり、このことを理由に廃園にするなどということは、経費削減という財政判断を優先させるものとして批判を免れません。
震災後に財政難を理由に凍結していた総額で100億円を超えるJR芦屋駅南地区の再開発事業をいよいよ本格化させようとするときに、財政理由から公立の子育て施設を縮小するなどというのは、子育て支援より開発優先と言われても仕方のない財政運営ではないでしょうか。そのどこが、市長が施政方針で言う「子どもの最善の利益」なるのかと言わざるを得ません。

本市においては、民間保育園の一法人における不正経理があったばかりであり、社会福祉法人だからと言ってかならずしも信頼できない思いが市民の中には広がっていますが、だからと言って私は民間園がすべて問題ありだという立場に立ってものを言っているわけではもちろんありません。本市においても長く民間園が公的保育の一定部分を担ってきましたし、そのことは評価されてしかるべきことだと思っています。
しかし、社会保障としての公的保育を担う中核は、国民の権利保障の義務がある行政が主体となって設立・運営する公立保育所であり、民間園はその補完的役割を担うことに民間園としての意義があるという関係性を見ておかなければなりません。
実際に芦屋市では、保育士の配置基準の上乗せや看護師の配置、給食のアレルギー除去食など、民間園を含む市内の公的保育の質の向上をリードする役割を公立保育所が担ってきました。まさに、公立保育所が中心となって「子どもの最善の利益」を追求してきてと言えます。市長が施政方針で「官民が互いの良さを発揮しながら」と言っているような、公立保育所と民間保育園を並列的にとらえる考え方は、公立保育所の存在意義を見誤り過小評価するもので、いきおい公立を減らしても、さらには無くしても大丈夫という行政による自らの公的役割と責任の否定につながりかねません。
市は、昨年行政内部でとりまとめた市立保育所適正化計画の中で、公立保育所の役割として保育の質の確保に言及しながら、その担保としての公立保育所の数については根拠を示すことなく減らすという結論を出しており、質の確保が言葉だけのものなりかねない危険性をはらんでいます。
先ごろの社会福祉法人「夢工房」の前経営陣による不正行為は、前経営陣の資質の問題に矮小化されることではなく、待機児解消を公立保育所の増設ではなく民間依存ですすめる政策が、条件の整わない法人さえも認可することにつながったという第三者委員会の認識は、民間誘致に依存してきた芦屋市としても教訓にしなければならない視点だと思います。公立を減らせば減らすほど行政の立場は弱くなり、第三者委員会が「待機児童ゼロ作戦で悩む自治体と保護者を手玉にとった」と指摘した「夢工房」問題の再来を招いてはならないと思います。

幼稚園について見れば新年度中には、岩園幼稚園に統合が予定される朝日ヶ丘幼稚園とともに、場合によっては認定子ども園に統合される精道幼稚園の廃園のための条例が出される可能性を市教育委員会は示しています。新年度の事務執行予算の中身としてこの問題も指摘しておかなければなりません。
教育委員会から廃園の理由として出されている定員充足率の低さは、幼児教育における1クラスの定数の多さが改善の課題になっている今日、最も多かったときよりは見直しがされた幼稚園の定員であってもなお、過大であることを見ておく必要があります。市の説明会でも、現状がちょうどいいとの声が市民からも出されているところです。それでもなお施設の有効利用を言うのであれば、以前から要望のあった幼稚園での3歳児保育を拒み続けてきたのは芦屋市であることを思い返さなければなりません。このことも説明会ではPTAの役員から出されていました。
市は、統廃合で新設する認定こども園で3歳児保育はするとしていますが、幼稚園ではできないとしていたものが、認定こども園ではなぜできるのかとの疑問に市はまともに答えていません。幼稚園では3歳児保育を市内の民間園が行っているので、公立で実施すると競合して園児のとりあいになるとしながら、認定こども園では、公立の幼稚園で3歳児保育をしていないがために市外の民間幼稚園に行っている3歳児を市内に呼び戻すことになり、民間園との競合は起きないと説明しています。認定こども園なら、市外に出ていた子どもが帰ってきて、幼稚園なら市内民間園に行っている子どもを取り合うことになるなどというのは、当局の都合に合わせたまったくの空論であり、論理矛盾です。
定員割れによる幼稚園施設の無駄を言うのであれば、すぐにでも3歳児保育を実施すべきですし、そのことは預かり保育も活用することで保育所の待機児解消にも効果が期待できるというものです。

統廃合で通園区域が広くなれば、教育委員会が推奨してきた徒歩通園が無理になる地域が相当の広さで生まれることも問題です。保護者の負担が増え、送迎途中の安全にもあらたなリスクが伴うことは必定です。それらはいずれも芦屋の幼稚園教育の魅力を減退させるものです。
そもそも認定子ども園に統合される幼稚園では、本市幼稚園教育の継承に大きな制約があります。
認定こども園は、3歳以上の幼稚園児に対応した1号認定の子どもと同じく3歳以上の保育所児に対応した2号認定の子どもが同じクラスで保育されることになり、これまでの幼稚園教育がそのまま継承されることにはなり得ないからです。しかも認定子ども園は、1園が150人から200人、あるいは250人から300人と大きく、その中に生まれたばかりの0歳児から5歳児までが含まれるわけですから、単純な人数だけの比較で、かつての幼稚園はそれくらい多かったではすまされない問題があります。
本市の保育所の最大の定員は新浜保育所で100名ですが、乳幼児からの保育所にあっては、子どもたちの健全で安全な保育における子ども集団としての規模の判断がそこにはあったわけであり、行政が大事にしてきたそのよう判断基準さえ捨てて、財政効率からこれまでにない巨大園を設けることは、保育士の配置基準さえ同じであれば良しとするわけにいかない保育の質の問題があります。

公共施設である幼稚園や保育所が市民の財産であることも忘れてはならない点です。それは建物や土地という意味だけではありません。
朝日ヶ丘幼稚園や精道幼稚園に限らず、どの幼稚園もまたどの保育所も、在園児以外の地域の子どもや保護者を対象とした子育て支援のセンターとしての役割を担ってきています。統廃合は、その施設を地域から無くし、あるいは遠ざけることで、芦屋市としての子育て支援を大きく後退させるものです。市長が施政方針で継承するとしている「子育てにおける本市の強み」、市民が行政と共に培ってきた本市の財産と言えるその強みを行政自ら弱め、否定することにさえなりかねないものです。

この問題での最後に、新年度予算に打出保育所の民営化関連予算が計上されるに至った統廃合計画策定のプロセスの問題を指摘しておきます。
市は、打出保育所の民営化を含む今回の統廃合計画について、2015年平成27年に策定した「子ども子育て支援事業計画」で「市立幼稚園と市立保育所の適正な規模についての整備検討を行います」としていることの具体化だと説明しています。しかし、今回のような大規模な統廃合が「適正な規模についての整備検討」などという一言で市民が納得するものでないことは、この間に開かれた各所での説明会で出された市民の声からも明らかです。このような言葉で市民不在での計画策定を正当化できると考えているのなら、それは行政の傲慢さの表れであり、市民との間でよほどの感覚のずれが行政に生じているということであろうと懸念します。
この間の経過を見れば、昨年の4月に保育所の統廃合計画策定に着手し、12月には市立保育所適正化計画を策定しておきながら、子ども子育て支援について所管事務調査としている議会に対して今年の2月まで一切の報告がなかったことに加え、教育委員会は幼稚園の統廃合について非公式非公開の協議会で進め、最終的に計画を決めたとする市長と教育委員会の協議調整の機関である総合教育会議も非公開にして事をすすめるという周到さです。計画策定過程が市民排除で貫かれたと言えるこのプロセスは、市がパブリックコメントなど「政策・計画策定過程への参画」と言っていることとも矛盾する実態がここにあります。

そもそも、市は昨年の12月に一旦は「芦屋市立保育所適正計画」という個別の計画を内部で策定していますが、その後においてこの計画名はいっさい表には出てきておらず、
2月13日の市議会全体協議会で明らかにした段階では「市立幼稚園・保育所のあり方について」という「計画」の言葉を抜いた呼び方に変えられています。これはその後に市が統廃合を「子ども子育て支援事業計画」の具体化であるから、パブリックコメントにかける考えはないと説明することにつながる言葉の言い換えまで行って、市民参加を避けようとしたのではないかとの疑念をもたせるものです。政府が、南スーダンでの自衛隊の活動報告にからんで、憲法に抵触する「戦闘」という言葉を現地では使いながら国会への報告では使わず、実態とは異なる「衝突」という言葉に言い換えたのと同様のごまかしなのではないかとの思いが消えません。
市民参画の市の方針に照らしても問題のあるプロセスであり、正当性のない手続きで決められた政策・計画に正当性はないと言わねばなりません。撤回を強く求めるものです。

プロセスについて教育委員会には、さらに問題があることも指摘しておきます。教育委員会は今回の統廃合計画は総合教育会議に教育委員も参加してそこで決定したとしていますが、この説明には総合教育会議の位置づけについての事実誤認があると思います。総合教育会議は市長と教育委員ではなく、市長と教育委員会との協議調整機関であって、決定機関ではありません。総合教育会議における両者、すなわち市長と教育委員会の調整結果を両者が尊重しなければならないと法が規定しているのも、総合教育会議が決定機関ではなく、別途に意思決定機関としての教育委員会が調整結果に基づいて方針決定をすることを前提としているからです。教育委員会が自らの意思決定機関としての位置づけを低めるよう認識で、今回の重大な内容の問題が進められることは、独立した行政委員会としての教育委員会制度の形骸化につながりかねない問題として指摘しておくものです。

今回の統廃合計画の背景には、国が営利企業をも含む民間の保育参入を規制緩和してでも推し進める政策誘導があり、自治体に不利な補助金制度の改悪までもが強行されたことがあることは確かです。しかしそのような中にあっても、公立保育所の増設を決断する自治体があることももう一方の事実です。待機児解消を政府の進める規制緩和という保育水準の低下の流れの中で行うのか、あるいは制約の中にあってもなお「最善の利益」がはかられるべき「子どもの視点」を見失わず、自治体としての努力を尽くすのかが問われています。これまで優れた保育実践を重ねてきた芦屋市こそが、その財政的条件を最大限に生かして公立保育所の増設を決断することを強く求めたいと思います。

以上、新年度予算に反映している幼稚園・保育所統廃合計画の問題点の指摘にかなり時間を要しましたので、あとの問題は簡潔にしておきたいと思います。

屋外広告物条例の施策を推進する予算が計上されていますが、補助事業を否定するものではないものの、そもそもが市民の権利に規制を加えるものでありながら、十分な市民合意が形成されないままの条例強行になったものであり、現時点では推進の予算を認めることはできません。

マイナンバー関連の予算については、先ほどの関連議案の討論でも指摘があったように、マイナンバー制度が徴税や社会保障における国民監視の性格が強いことに加えて個人情報漏えいのリスクが高く、反対するものです。

ほかにも一般会計には、指定管理者制度にかかわる予算、PFIにかかわる予算などが含まれることも問題点として指摘しておきます。

介護保険事業特別会計では、なによりも高い保険料とその一方での保険はずしを指摘しなければなりません。そもそもの施設不足に加えて、新年度は要支援や介護1.2を介護サービスからはずして新総合事業に移行する初年度であり、「保険あって介護なし」がいっそう進む事態となっています。所得による自己負担二割の導入も大きな問題です。社会的介護という介護保険制度がつくられた当初の理念からは大きくずれた実態は、容認する限度を超えるものとなっており、反対をいたします。

後期高齢者医療事業特別会計は、高い保険料に加えて、制度そのものが高齢者への差別的制度である点から反対します。

最後に三条津知財産区共有財産会計です。憲法違反の安保法制の発動で駆つけ警護の名による武力行使や集団的自衛権行使の名による日米共同軍事作戦よって、日本がテロの標的にされるリスクは格段に高まっています。このような安保法制の下で、日米が共同の敵とみなした国からの攻撃があるとすれば、初期の段階で攻撃対象となるのが通信施設であることは軍事戦略の基本です。実態として米軍との共同利用となっている自衛隊六甲通信基地の危険性は安保法制の発動によってより大きくなっていると言えます。そのような通信基地用地としての財産区の土地貸付に反対するものです。

今年は憲法と憲法理念の実現に不可欠とされた地方自治法の施行から70年の節目を迎える年です。地方自治法は2000年の大改正によって、国による代執行制度導入の改悪を含みながらも、なお国と地方自治体を対等の関係ととらえることや地方自治の本旨にもとづく運営など基本原則は生きており、沖縄にみられるように、国による地方自治侵害の状況が進む今日だからこそ、その基本原則を生かすことが自治体側に切に求められています。
安保法制の強行やそれに続く共謀罪創設法案の国会上程など、かつて日本を亡国へと導いた偏狭な国家主義を再現するかのような現下の国の動きは、地方自治体をまたもや国の下請け機関としかねない懸念を持たせるものです。地方政治に携わる者として、憲法と同時に地方自治法が施行されたその趣旨をいまあらためて思いおこし、国民主権を阻害する国家主義への傾倒を食い止め、憲法のめざす民主的で文化的な社会の建設を地方政治において担っているとの自覚の下に、地方自治の内実を住民自治の視点から強めていくことが求められているとの認識を深くするものです。
市長におかれては、今回の幼稚園・保育所統廃合計画であらわになった政策策定過程からの市民排除の姿勢をあらため、住民自治の根幹である市政の主役としての市民の位置づけにもとづく市政執行を強く求めておくものです。

以上申し上げて、一般会計他4会計予算への日本共産党を代表しての反対討論とします。

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2017年02月26日

幼稚園・保育所の統廃合・民営化は撤回すべきです

芦屋市は2月13日に、市立幼稚園・保育所の統合・廃園(閉所)計画を明らかにしました。今後の4年間で、幼稚園を現在の8園から半減して4園に、保育所は現在の6園から三分の一の2園にするというもの。
待機児童解消にもつながらない「民営化」…「子どもの最善の利益」とは真逆
4幼稚園の廃園は、徒歩通園を奨励するなど地域密着で培われてきたこれまでの幼稚園教育の否定であり、市立保育所(打出、大東)の民営化は「待機児童解消」(市の説明)とも関係のない公的保育の明らかな後退で、「子どもの最善の利益」(市の説明)とは真逆です。
統廃合によってあらたに市立認定こども園(幼稚園と保育所の複合施設)を2園新設するとしていますが、いずれも定員が150人から200人、250人から300人と広域を対象とした大規模なもので、これまでの地域に密着した子育て施設としての機能はどうなるのか、乳幼児施設としての安全は確保できるのかなど懸念されます。
 このような重大な改編でありながら、正規の教育委員会の会議では一度も確認・決定がされず、教育委員の「協議会」や市長をトップとする「教育総合会議」で非公開に進められてきたことも明らかとなりました。日本共産党は説明の2月13日の市議会全体協議会で、内容の問題とともにプロセスにおいても瑕疵があり、撤回すべきと迫りました。その後、非公開でされた教育委員の「協議会」は『記録をとっていない』(市教委担当課の説明)ことも判明、重大な政策決定が市民の知り得ないところでなされたことがいよいよ浮き彫りとなっています。市民からは「政策判断に市民の声は要らないのか」(保育所保護者)との厳しい批判の声が出ています。
 日本共産党は、開会中の市議会本会議の総括質問でこの問題を取り上げ、市・市教育委員会を追及する予定です。
本会議総括質問→日本共産党からは森議員が会派を代表して質問します(3月6日(月)午後2時頃〜)


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2015年12月25日

問題残す芦屋市屋外広告物条例

芦屋市議会の12月定例市議会で賛成多数で可決された屋外広告物条例案は、景観を理由に看板やのぼりなどを規制し、違反に対する罰則を設けるものです。しかし、市商工会から性急に結論を出さないように求める「陳情書」が出されるなど、市民的合意は十分ではありません。しかものぼりは住宅地域では原則禁止になるなど、小さな店舗事業者にとっては厳しい制約が加えられることになり、パブリックコメントでも見直しを求める意見が出されていました。日本共産党は、景観を守ることには賛成ですが、「表現の自由」という基本的人権を罰金まで科して規制する以上は、市民的合意が不可欠であるなどの理由で反対しました。
「慎重審査」との委員会の判断を無視した乱暴な「動議」で一転可決に・・・・
屋外広告物条例は、2度の委員会審査では、慎重な審査が必要と一旦は予算議会までの「継続審査」とされましたが、最終本会議で当日16時までにに結論を出すという動議(中島かおり議員提出)が出され、急きょ審査を再開、本会議で賛成多数で可決されました。
(日本共産党芦屋市議団ニュースNo198より転載)

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2015年10月23日

日本共産党市議団ニュース2015年秋号より…9月議会一般質問

保育料の負担軽減を/マンション防災支援の強化を
9月市議会では、保育料の問題、マンション防災、平和行政などについて一般質問でとりあげました。日本共産党芦屋市議団ニュース2015年秋号より、私の一般質問部分を転載します。

芦屋市は、この数年保育所保育料を据え置いています。しかし、保育料の最高額は3歳未満児で月額89000円と神戸市よりも15000円も高く、20年前の1.7倍にもなっています。保育料を決める所得階層区分が粗い(20年前は20段階、現在は11段階。全国的には30段階の市もある)ため、所得増による保育料増額の負担感が他市よりも大きくなっており、階層区分の細分化を求めました。また、国による「年少扶養控除」廃止で実質引き上げの世帯も出てきており改善を求めました。また、今年から始まった「小規模保育事業所」の保育料は、施設や人員配置の緩和(水準低下)もあることから西宮市などでは25%低く設定しているのに対して、芦屋市は認可保育所と同額です。質問ではその減額を提起しました。いずれも積極的な返答には至りませんでしたが、これからも求めて行きたいと思います。
防災では、市民の多くが居住するマンションの防災支援が先進市に比べて遅れており強化を求めました。
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2015年10月18日

非核平和都市宣言30周年を迎えました

芦屋市は、市議会が1985年10月15日に非核平和都市宣言を決議してから30周年になることから、市役所北広場に宣言の銘板をこのほど設置しました。市民団体や日本共産党もこの間にモニュメントの設置を求めてきました。宣言は、24の市民団体の請願と7000名を超える市民の署名が大きな力となって、二回の定例議会で審議の上、全会一致で可決されたものです。私も一期目の議員としてかかわり、当時二期目の議員だった山中現市長らとともに、宣言文の起草にあたりました。核弾頭の数は減ってきていますが1万数千発の脅威はなお巨大なものです。これからも宣言を風化させずに施策の充実を求めていきます。
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2015年09月18日

戦争法の強行採決に抗議の共同アピールを市議有志で出しました

今日の市議会本会議終了後、参院本会議での戦争法強行採決への反対と抵抗が国会内外で繰り広げられる中、市議会議員有志で参院特別委員会での強行採決に抗議する下記の共同アピールを発表しました。

安全保障法制関連法案の強行採決に抗議します
芦屋市議会議員有志の共同アピール


 国会で議論されていた安全保障法制関連法案が、衆議院に引き続き参議院でも、国民多数の反対をおしきって特別委員会で強行採決され、本会議においても今まさにされようとしています。違憲性の指摘もされる中で、最新の世論調査では国民の6割が法案に反対、8割が十分な説明がされていないと答えており、そのような中での強行採決は、主権者国民の意に反するという点で、日本社会に重大な汚点を残すものです。
 すでに憲法学者や歴代の元内閣法制局長官、「憲法の番人」と言われる最高裁判所の元判事が次々と法案の違憲性を厳しく批判する中、地方政治にも大きくかかわる問題として、先日は本市の山中健市長をはじめ、阪神間4市長も強行採決に反対し、国民世論を真摯に受け止めた判断を政府ならびに国会に求める声明を発表するなど、時間的経過とともに法案への国民の理解が深まるどころか、法案への批判は広がり続けてきました。
 そのような中で、数を頼みに強行採決を繰り返すことは、民主主義への挑戦とも言えるものであり、地方の場で政治に携わる者として、日本の将来に大きな懸念を持たざるを得ません。
 私たち芦屋市議会議員有志はここに、安全保障法制関連法案の強行採決に強く抗議し、地方の場から国民の意思にもとづく政治の実現へ引き続き全力を尽くす決意を表明するものです。

2015年9月18日
芦屋市議会議員 
いとうまい/中島かおり/長谷 基弘/平野 貞雄/ひろせ 久美子/前田 辰一/森 しずか/山田美智子
(50音順)
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2015年08月15日

平和安全法制については反対…愚かな選択を決してとってはならないと山中健芦屋市長が表明

<兵庫県自治体問題研究所からの依頼で、「住民と自治」兵庫県版に寄稿した一文を転載します>
被爆70年の今年も、広島、長崎をめざす国民平和大行進が7月9日に芦屋を通過しました。市役所前での歓迎と引継ぎの集会がいつもと違ったのは、そこに市長自身の姿があったことです。早めに出てきて、行進団を出迎えました。市長代理の挨拶は毎年行なわれてきましたが、松永市長から山村市長、北村市長、そして現在の山中市長まで、私が議員だった期間32年間を通じて市長自らが挨拶に出てきたことは今回が初めてです。
その6日前の7月3日、山中健市長は、私の本会議質問に対する答弁で「日本国憲法を遵守する考えであり、現在、国会で議論されている『平和安全法制』については反対の考えでございます。」と戦争法に反対の姿勢を明確にしました。
私は質問で、国会で議論されている「平和安全法制」について、違憲性の指摘がされ、批判が広がっていることを指摘した上で「憲法に反する集団的自衛権行使の具体化である法案の成立は、地方政治のあり方にも重大な影響を及ぼすことになりかねません。戦前において市町村が国の戦争推進の機関とされた苦い教訓から、戦後においては憲法と同時施行で地方自治法が施行された意味は重いものがあります。そもそも明治憲法の改正と言う形をとって制定された現憲法に、新たに加えられた二つの章が、第9条のみからなる第二章の戦争の放棄と、第八章の地方自治であるところに、平和国家建設に向けて地方自治に期待されることの大きさが現れており、地方政治に携わるものとして、その意味を常に自覚し、国政の動向にも注意を払っていくことが重要です。戦後70年を経た現在の日本の政治状況について、平和憲法に照らしてどのような問題意識を地方政治の責任者としてもっているか。国会に上程されている平和安全法制についてどう受けとめているかお示し下さい。」と、地方政治の責任者としての市長の認識を質したのですが、山中市長は前記の答弁に続けて以下のように述べました。
「今の日本の平和と繁栄は、先の大戦で300万人を超える尊い犠牲と、その何倍も何倍も悲しい思いをした人たちの上に成り立っているということを、われわれは片時も忘れてはなりません。過ちは二度と繰り返しませんからと固く誓ったはずです。戦争できない、しない国から戦争できる国にするという愚かな選択をけっして日本はとってはならないと強く思います。」
山中市長は、国民平和大行進の歓迎・引継ぎ集会でも同趣旨の挨拶を行ない、参加者から「お〜」というどよめきと拍手が沸き起こりました。本会議質問の後で分かったことですが、質問への答弁のためにあらかじめ所管部署との打ち合わせで用意していた原稿にはこの部分はなく、市長自身が答弁時にアドリブで付け加えたものでした。外国の2000万人の犠牲という加害に触れていないなどの指摘もありますが、安倍政権の戦争に向かう姿勢に明確に批判の立場を示したことには、ネットによる同時中継で本会議を視聴していた市職員からも共感の声が聞かれたのをはじめ、多くの市民から共感の声が寄せられています。
山中市長は現在四期目で、今年4月の選挙は無所属での立候補でしたが、一期目から自民、公明両党の支持を得てきました。しかし、「護憲派」を自称する山中市長は、これまでも「平和主義、国民主権、基本的人権を柱とする日本国憲法は優れた憲法・・・改正の必要は全くない」(2013年6月議会答弁)、「集団的自衛権の行使には反対の考えであります」(2014年6月議会答弁)と、政府の方針と異なる場合であっても、平和に対する自らの考えは明確にしてきました。
今年10月15日で30周年となる芦屋市の「非核平和都市宣言」の市議会決議に際しては、当時二期目の市会議員として、宣言文の起草にかかわっています。
10年前には、非核平和都市宣言20周年を記念するつどい(2005年芦屋非核平和祈念のつどい=同実行委員会主催)に参加し、立ち見も出るルナホール満席の参加者を前に次のように述べています。
「ややもすれば右傾化しがちな今日の世相にあって、このようなとりくみは大変意義深いものがあると思います。いま、ちょうど改革の真っ最中で、どんどん少子化と超高齢化へ社会が変わっていく、これまでと同じような事業をしていたのでは対応できなくなる。芦屋市も改革の真っ最中で、ご批判もあるでしょうが好むと好まざるとにかかわらず改革して将来に備えていかなければなりません。しかし、変えてはいけないのが日本国憲法だと思っています。みなさんも憲法を守り、平和を守るためいっそうのご奮闘を心からお祈りし、激励とお祝いのごあいさつとします。」
市民に負担と犠牲を強いる行政改革をスタートしたばかりの山中市政一期目のときで、何を言い出すのかと固唾をのんで耳を傾けていた参加者の顔が一気にほころび、満場の拍手がホールを包みました。
山中市長とは、多くの問題で政策を異にし対立することもある中で、日本の命運を左右する戦争か平和かの問題で、基本点での認識を多くの平和を願う市民と共有できることを公の場で確認できたことは、大きな意義があります。
私は、平和行進の折に、市長に「議会での答弁に多くの市民が共感していますよ」と声をかけたのですが、市長からは「周りから色々言われましたよ」と、戦争法推進の側からの圧力があることをほのめかす言葉が返ってきました。「市長のバックにはたくさんの市民がいますよ」と私が言うと、「そうですよ、この問題では私らが多数派ですから」と返ってきました。
市長が、護憲の立場を表明するのは、政治家個人としての信条によるのが大前提ですが、その立場を堅持する最大の保障はやはり世論だとつくづく感じたところです。
平和行進では、市役所敷地内だけではありましたが、山中市長も横断幕をもっていっしょに歩くという場面も加わり、挨拶に加えて参加者の共感をいっそう広げました。その護憲の歩みが、これからも市民とともにあることを願うとともに、そのためにもいま一つの市民代表機関である市議会が、市長の足をひっぱることのないよう憲法擁護の市民的共同を広げていかなければと思います。
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