2015年01月17日

20回目の1.17・・・阪神淡路大震災

「両側のタンスが倒れて来たんですけど、その下の隙間で助かったんですよ。運ですね。」「電車が止まっていたから、自転車で行きましたが、ずいぶんと遠かったですわ。」―17日を前にして、食堂の近くの席からそんな会話が聞こえてきました。阪神淡路大震災から20年が経ちました。
長いようで、ついこの間のような感覚がまざりあって当時のことがよみがえります。揺れて目が覚めたら、枕元にでかいデスクトップのパソコンが、離れた机から飛んできて落ちていました。位置が少し違っていたら、私もどうなっていたことか・・・。
幸いにも誰一人ケガをすることもなかったわが家族ですが、5歳児だった長男は、すでに社会人になって3年、2歳児だった次男も今年4月から社会人です。震災体験の継承が言われる中で、どれだけ息子たちに語れてきたか、親として自問のこのときですが、子どもたちの母校、市立精道小学校では、今年も追悼式が行なわれ参列しました。六年生が震災について学習したことを五年生に語り継ぐ教育が一貫して続けられています。

モニュメント前での精道小学校追悼式(追って写真アップ予定)

 
 20年となった今年は、市の追悼式が10年ぶりに開催されました。芦屋公園内にある市の追悼モニュメントに献花してから私も参列しました。知人とその家族の名前が読み上げられ、なぜ彼らが亡くならなければならなかったのか、なぜ自分は生きられているのか、答えの見つかるはずのない問いに、眠れない震災当日の夜を過ごしたことを思い出しました。翌朝からは、そんな思いをかみしめる余裕もなく、救援、復旧・復興の課題に立ち向かわざるを得ない多忙な日々が待っていました。頑なな政府の姿勢に風穴をあけた被災者への「個人補償」を求めるとりくみ、生活再建を後回しに大型公共事業に走る行政とのたたかいなど、多くの体験の中から学ぶことも多かった日々です。

 市立ルナ・ホールで開かれた芦屋市追悼式(追って写真アップ予定)

 震災当時、息子たちが通っていた市立精道保育所でも毎年、追悼のつどいが行なわれています。今年は16日に、市内各保育所で子どもたちが折った鶴が持ち寄られて行なわれました。
 震災から2年たって保護者会(当時私も役員を務めていました)と保育所が共同で建立した6人の子どもたちの追悼モニュメントには、たくさんの折り鶴と共に色とりどりの花々が飾られていました。

私も追悼碑に献花(追って写真アップ予定)

17日に最後に訪ねたのは、半年近くも「テント村」があった津知公園の祈念碑です。私の前には、若いカップルが黙祷していました。壊滅的な被害を受けた津知町ですが、区画整理事業で街はすっかり変わり、公園にはたくさんの子どもたちの賑やかな歓声が飛び交っていました。

昨年の1.17⇒D:\jcp-hirano.sblo.jp\article\85626728.html
posted by 平野 at 23:57| Comment(0) | 活動
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