2017年03月31日

新年度予算への反対討論…幼稚園・保育所統廃合は撤回を

《3月24日の最終本会議で、日本共産党芦屋市会議員団を代表して予算案への反対討論に立ちました。以下に全文を掲載します。》

日本共産党を代表して平成29年度2017年度一般会計、介護保険事業特別会計、後期高齢者医療事業特別会計、三条津知財産区共有財産会計の4会計予算案に反対の討論を行います。

地方自治体をとりまく状況は、現年度から導入の地方交付税におけるトップランナー方式による財政削減の圧力や沖縄に見られるように政府方針に沿わない地方政治には有無を言わさぬ強権政治の発動など、地方自治に逆行する厳しさが増しています。

同時に、国民生活は政府の経済政策のゆがみを受けて、暮らしづらさをいっそう増しています。家計消費支出は対前年比で減り続けています。

このような中で、地方自治体としての姿勢が問われています。国の政治に対する姿勢、そして市民に対する市長の姿勢が問われています。

一般会計の新年度予算では、山手中学校や精道中学校の建て替え事業など、待ち望まれてきた事業、大学入学支度金のように日本共産党として求めてきた学生生活への財政的支援の一助となる施策、関係者の切実な願いであった精神障害者医療助成の拡大など、市民要望に応えた事業や施策が含まれ、それらに反対するものでないことは当然のこととしながら、なお賛成しがたい問題を含む予算であり、全体としては反対するものです。

施政方針で市長は、「一億総活躍社会の実現」など国の政策と自治体の取組が一体となって、地方創生を進展させなければならないとして、「世界でも特別なまち」であり続けることを掲げていますが、ことさらに特別である必要はなく、地方自治体としての本来の役割が十分に果たせること、そのためにも地方自治体としての行政運営にさまざまな制約を押し付けてくる国の政治にしっかりとした問題意識をもって臨むことこそが求められていると思います。

地方自治体としての本来の役割とは、住民の福祉の増進であることは論を待たないわけですが、市民生活の現実に行政としての視座を据えてこそ果たせる役割であろうと思います。今日の日本経済の低迷と国民生活の厳しさは、本市においても例外ではないことをこの間に繰り返し指摘してきましたが、今年の施政方針においてもそれを直視する視点は見えてきません。そのことが、山中市長による市政執行に制約を作り出していると言えます。行革の理由とされた震災後の負債が作り出した財政上の制約が、大きく取り払われたことは当局も認めながら、市長の政治姿勢による新たな制約が市民の願い実現を阻む要因として生まれていると言えます。
その典型として今回表れたのが、幼稚園・保育所の統廃合計画ではないでしょうか。施政方針で市長は、「子育てにおける多様なニーズへの対応と子どもたちの個性に応じた最適な環境整備が必要です。幼稚園と保育所の全体的な見直し、子育てにおける本市の強みも継承しつつ、官民が互いの良さを発揮しながら、オール芦屋で推進する体制を構築してまいります。」と述べていますが、その具体化として新年度予算に盛り込まれているのは、市立打出保育所を民営化するための事業者選定委員会の予算です。そのどこが「最適な環境整備」なのか、「本市の強み」の継承なのか、「互いの良さの発揮」なのか、市民からの厳しい批判に晒されているのは当然です。

市が2月に示した幼稚園・保育所統廃合計画の具体化が始まる予算であるだけに、一般会計予算に反対する理由の一つとして、まずこの計画の問題点に触れておきたいと思います。

市は今回の統廃合計画を保育所の待機児解消策として市民に説明していますが、374人の定員増加分のうち284人は、市立の幼稚園・保育所の統廃合とは別に誘致する民間園によるものであり、統廃合によって増員となるのは90名にとどまります。
市立打出保育所と市立大東保育所は、民営化によっても定員に変化はなく、まったく待機児解消には結びつかないものです。
それなのになぜ、民営化なのか。市の説明で出てくるのは、打出と大東の2保育所の保育士に相当する31名の保育士が今後の数年間で定年退職を迎えることですが、保育士ならば募集すればよいことであり、このことを理由に廃園にするなどということは、経費削減という財政判断を優先させるものとして批判を免れません。
震災後に財政難を理由に凍結していた総額で100億円を超えるJR芦屋駅南地区の再開発事業をいよいよ本格化させようとするときに、財政理由から公立の子育て施設を縮小するなどというのは、子育て支援より開発優先と言われても仕方のない財政運営ではないでしょうか。そのどこが、市長が施政方針で言う「子どもの最善の利益」なるのかと言わざるを得ません。

本市においては、民間保育園の一法人における不正経理があったばかりであり、社会福祉法人だからと言ってかならずしも信頼できない思いが市民の中には広がっていますが、だからと言って私は民間園がすべて問題ありだという立場に立ってものを言っているわけではもちろんありません。本市においても長く民間園が公的保育の一定部分を担ってきましたし、そのことは評価されてしかるべきことだと思っています。
しかし、社会保障としての公的保育を担う中核は、国民の権利保障の義務がある行政が主体となって設立・運営する公立保育所であり、民間園はその補完的役割を担うことに民間園としての意義があるという関係性を見ておかなければなりません。
実際に芦屋市では、保育士の配置基準の上乗せや看護師の配置、給食のアレルギー除去食など、民間園を含む市内の公的保育の質の向上をリードする役割を公立保育所が担ってきました。まさに、公立保育所が中心となって「子どもの最善の利益」を追求してきてと言えます。市長が施政方針で「官民が互いの良さを発揮しながら」と言っているような、公立保育所と民間保育園を並列的にとらえる考え方は、公立保育所の存在意義を見誤り過小評価するもので、いきおい公立を減らしても、さらには無くしても大丈夫という行政による自らの公的役割と責任の否定につながりかねません。
市は、昨年行政内部でとりまとめた市立保育所適正化計画の中で、公立保育所の役割として保育の質の確保に言及しながら、その担保としての公立保育所の数については根拠を示すことなく減らすという結論を出しており、質の確保が言葉だけのものなりかねない危険性をはらんでいます。
先ごろの社会福祉法人「夢工房」の前経営陣による不正行為は、前経営陣の資質の問題に矮小化されることではなく、待機児解消を公立保育所の増設ではなく民間依存ですすめる政策が、条件の整わない法人さえも認可することにつながったという第三者委員会の認識は、民間誘致に依存してきた芦屋市としても教訓にしなければならない視点だと思います。公立を減らせば減らすほど行政の立場は弱くなり、第三者委員会が「待機児童ゼロ作戦で悩む自治体と保護者を手玉にとった」と指摘した「夢工房」問題の再来を招いてはならないと思います。

幼稚園について見れば新年度中には、岩園幼稚園に統合が予定される朝日ヶ丘幼稚園とともに、場合によっては認定子ども園に統合される精道幼稚園の廃園のための条例が出される可能性を市教育委員会は示しています。新年度の事務執行予算の中身としてこの問題も指摘しておかなければなりません。
教育委員会から廃園の理由として出されている定員充足率の低さは、幼児教育における1クラスの定数の多さが改善の課題になっている今日、最も多かったときよりは見直しがされた幼稚園の定員であってもなお、過大であることを見ておく必要があります。市の説明会でも、現状がちょうどいいとの声が市民からも出されているところです。それでもなお施設の有効利用を言うのであれば、以前から要望のあった幼稚園での3歳児保育を拒み続けてきたのは芦屋市であることを思い返さなければなりません。このことも説明会ではPTAの役員から出されていました。
市は、統廃合で新設する認定こども園で3歳児保育はするとしていますが、幼稚園ではできないとしていたものが、認定こども園ではなぜできるのかとの疑問に市はまともに答えていません。幼稚園では3歳児保育を市内の民間園が行っているので、公立で実施すると競合して園児のとりあいになるとしながら、認定こども園では、公立の幼稚園で3歳児保育をしていないがために市外の民間幼稚園に行っている3歳児を市内に呼び戻すことになり、民間園との競合は起きないと説明しています。認定こども園なら、市外に出ていた子どもが帰ってきて、幼稚園なら市内民間園に行っている子どもを取り合うことになるなどというのは、当局の都合に合わせたまったくの空論であり、論理矛盾です。
定員割れによる幼稚園施設の無駄を言うのであれば、すぐにでも3歳児保育を実施すべきですし、そのことは預かり保育も活用することで保育所の待機児解消にも効果が期待できるというものです。

統廃合で通園区域が広くなれば、教育委員会が推奨してきた徒歩通園が無理になる地域が相当の広さで生まれることも問題です。保護者の負担が増え、送迎途中の安全にもあらたなリスクが伴うことは必定です。それらはいずれも芦屋の幼稚園教育の魅力を減退させるものです。
そもそも認定子ども園に統合される幼稚園では、本市幼稚園教育の継承に大きな制約があります。
認定こども園は、3歳以上の幼稚園児に対応した1号認定の子どもと同じく3歳以上の保育所児に対応した2号認定の子どもが同じクラスで保育されることになり、これまでの幼稚園教育がそのまま継承されることにはなり得ないからです。しかも認定子ども園は、1園が150人から200人、あるいは250人から300人と大きく、その中に生まれたばかりの0歳児から5歳児までが含まれるわけですから、単純な人数だけの比較で、かつての幼稚園はそれくらい多かったではすまされない問題があります。
本市の保育所の最大の定員は新浜保育所で100名ですが、乳幼児からの保育所にあっては、子どもたちの健全で安全な保育における子ども集団としての規模の判断がそこにはあったわけであり、行政が大事にしてきたそのよう判断基準さえ捨てて、財政効率からこれまでにない巨大園を設けることは、保育士の配置基準さえ同じであれば良しとするわけにいかない保育の質の問題があります。

公共施設である幼稚園や保育所が市民の財産であることも忘れてはならない点です。それは建物や土地という意味だけではありません。
朝日ヶ丘幼稚園や精道幼稚園に限らず、どの幼稚園もまたどの保育所も、在園児以外の地域の子どもや保護者を対象とした子育て支援のセンターとしての役割を担ってきています。統廃合は、その施設を地域から無くし、あるいは遠ざけることで、芦屋市としての子育て支援を大きく後退させるものです。市長が施政方針で継承するとしている「子育てにおける本市の強み」、市民が行政と共に培ってきた本市の財産と言えるその強みを行政自ら弱め、否定することにさえなりかねないものです。

この問題での最後に、新年度予算に打出保育所の民営化関連予算が計上されるに至った統廃合計画策定のプロセスの問題を指摘しておきます。
市は、打出保育所の民営化を含む今回の統廃合計画について、2015年平成27年に策定した「子ども子育て支援事業計画」で「市立幼稚園と市立保育所の適正な規模についての整備検討を行います」としていることの具体化だと説明しています。しかし、今回のような大規模な統廃合が「適正な規模についての整備検討」などという一言で市民が納得するものでないことは、この間に開かれた各所での説明会で出された市民の声からも明らかです。このような言葉で市民不在での計画策定を正当化できると考えているのなら、それは行政の傲慢さの表れであり、市民との間でよほどの感覚のずれが行政に生じているということであろうと懸念します。
この間の経過を見れば、昨年の4月に保育所の統廃合計画策定に着手し、12月には市立保育所適正化計画を策定しておきながら、子ども子育て支援について所管事務調査としている議会に対して今年の2月まで一切の報告がなかったことに加え、教育委員会は幼稚園の統廃合について非公式非公開の協議会で進め、最終的に計画を決めたとする市長と教育委員会の協議調整の機関である総合教育会議も非公開にして事をすすめるという周到さです。計画策定過程が市民排除で貫かれたと言えるこのプロセスは、市がパブリックコメントなど「政策・計画策定過程への参画」と言っていることとも矛盾する実態がここにあります。

そもそも、市は昨年の12月に一旦は「芦屋市立保育所適正計画」という個別の計画を内部で策定していますが、その後においてこの計画名はいっさい表には出てきておらず、
2月13日の市議会全体協議会で明らかにした段階では「市立幼稚園・保育所のあり方について」という「計画」の言葉を抜いた呼び方に変えられています。これはその後に市が統廃合を「子ども子育て支援事業計画」の具体化であるから、パブリックコメントにかける考えはないと説明することにつながる言葉の言い換えまで行って、市民参加を避けようとしたのではないかとの疑念をもたせるものです。政府が、南スーダンでの自衛隊の活動報告にからんで、憲法に抵触する「戦闘」という言葉を現地では使いながら国会への報告では使わず、実態とは異なる「衝突」という言葉に言い換えたのと同様のごまかしなのではないかとの思いが消えません。
市民参画の市の方針に照らしても問題のあるプロセスであり、正当性のない手続きで決められた政策・計画に正当性はないと言わねばなりません。撤回を強く求めるものです。

プロセスについて教育委員会には、さらに問題があることも指摘しておきます。教育委員会は今回の統廃合計画は総合教育会議に教育委員も参加してそこで決定したとしていますが、この説明には総合教育会議の位置づけについての事実誤認があると思います。総合教育会議は市長と教育委員ではなく、市長と教育委員会との協議調整機関であって、決定機関ではありません。総合教育会議における両者、すなわち市長と教育委員会の調整結果を両者が尊重しなければならないと法が規定しているのも、総合教育会議が決定機関ではなく、別途に意思決定機関としての教育委員会が調整結果に基づいて方針決定をすることを前提としているからです。教育委員会が自らの意思決定機関としての位置づけを低めるよう認識で、今回の重大な内容の問題が進められることは、独立した行政委員会としての教育委員会制度の形骸化につながりかねない問題として指摘しておくものです。

今回の統廃合計画の背景には、国が営利企業をも含む民間の保育参入を規制緩和してでも推し進める政策誘導があり、自治体に不利な補助金制度の改悪までもが強行されたことがあることは確かです。しかしそのような中にあっても、公立保育所の増設を決断する自治体があることももう一方の事実です。待機児解消を政府の進める規制緩和という保育水準の低下の流れの中で行うのか、あるいは制約の中にあってもなお「最善の利益」がはかられるべき「子どもの視点」を見失わず、自治体としての努力を尽くすのかが問われています。これまで優れた保育実践を重ねてきた芦屋市こそが、その財政的条件を最大限に生かして公立保育所の増設を決断することを強く求めたいと思います。

以上、新年度予算に反映している幼稚園・保育所統廃合計画の問題点の指摘にかなり時間を要しましたので、あとの問題は簡潔にしておきたいと思います。

屋外広告物条例の施策を推進する予算が計上されていますが、補助事業を否定するものではないものの、そもそもが市民の権利に規制を加えるものでありながら、十分な市民合意が形成されないままの条例強行になったものであり、現時点では推進の予算を認めることはできません。

マイナンバー関連の予算については、先ほどの関連議案の討論でも指摘があったように、マイナンバー制度が徴税や社会保障における国民監視の性格が強いことに加えて個人情報漏えいのリスクが高く、反対するものです。

ほかにも一般会計には、指定管理者制度にかかわる予算、PFIにかかわる予算などが含まれることも問題点として指摘しておきます。

介護保険事業特別会計では、なによりも高い保険料とその一方での保険はずしを指摘しなければなりません。そもそもの施設不足に加えて、新年度は要支援や介護1.2を介護サービスからはずして新総合事業に移行する初年度であり、「保険あって介護なし」がいっそう進む事態となっています。所得による自己負担二割の導入も大きな問題です。社会的介護という介護保険制度がつくられた当初の理念からは大きくずれた実態は、容認する限度を超えるものとなっており、反対をいたします。

後期高齢者医療事業特別会計は、高い保険料に加えて、制度そのものが高齢者への差別的制度である点から反対します。

最後に三条津知財産区共有財産会計です。憲法違反の安保法制の発動で駆つけ警護の名による武力行使や集団的自衛権行使の名による日米共同軍事作戦よって、日本がテロの標的にされるリスクは格段に高まっています。このような安保法制の下で、日米が共同の敵とみなした国からの攻撃があるとすれば、初期の段階で攻撃対象となるのが通信施設であることは軍事戦略の基本です。実態として米軍との共同利用となっている自衛隊六甲通信基地の危険性は安保法制の発動によってより大きくなっていると言えます。そのような通信基地用地としての財産区の土地貸付に反対するものです。

今年は憲法と憲法理念の実現に不可欠とされた地方自治法の施行から70年の節目を迎える年です。地方自治法は2000年の大改正によって、国による代執行制度導入の改悪を含みながらも、なお国と地方自治体を対等の関係ととらえることや地方自治の本旨にもとづく運営など基本原則は生きており、沖縄にみられるように、国による地方自治侵害の状況が進む今日だからこそ、その基本原則を生かすことが自治体側に切に求められています。
安保法制の強行やそれに続く共謀罪創設法案の国会上程など、かつて日本を亡国へと導いた偏狭な国家主義を再現するかのような現下の国の動きは、地方自治体をまたもや国の下請け機関としかねない懸念を持たせるものです。地方政治に携わる者として、憲法と同時に地方自治法が施行されたその趣旨をいまあらためて思いおこし、国民主権を阻害する国家主義への傾倒を食い止め、憲法のめざす民主的で文化的な社会の建設を地方政治において担っているとの自覚の下に、地方自治の内実を住民自治の視点から強めていくことが求められているとの認識を深くするものです。
市長におかれては、今回の幼稚園・保育所統廃合計画であらわになった政策策定過程からの市民排除の姿勢をあらため、住民自治の根幹である市政の主役としての市民の位置づけにもとづく市政執行を強く求めておくものです。

以上申し上げて、一般会計他4会計予算への日本共産党を代表しての反対討論とします。

posted by 平野 at 20:38| Comment(0) | 活動

2017年03月12日

芦屋市立幼稚園・保育所統廃合のここが問題!

 芦屋市が2月13日に明らかにした市立幼稚園・保育所の統廃合計画について、関係者・市民から批判の声が相次いでいます。
 日本共産党芦屋市議団は、2月13日の市議会全体協議会で私・平野貞雄が、3月6日の本会議総括質問では森しずか議員が、統廃合計画を厳しく批判し撤回を求めました。また、13日の市議会予算委員会民生文教分科会ではひろせ久美子議員がこの問題で、新年度予算にかかわる打出保育所の「民営化」を中心に取り上げる予定です。
 市議会での追及や当局の説明会で明らかになった点も含めて、統廃合計画の問題点を整理しました。

●市民不在の計画策定…プロセスに重大な問題
・市は今回の統廃合計画を、27年3月に策定した『子ども子育て支援事業計画』で「市立幼稚園と市立保育所の適正な規模についての整備検討を行います」としていることの具体化だと説明しています。しかし今回のような大規模な統廃合を「適正な規模についての整備検討」で正当化するには無理があると言わねばなりません。昨年の11月に幼稚園の「適正規模と配置」について答申を出した「学校教育審議会」でも、保育所との統合には全く触れておらず、同審議会の「答申」(以下、答申)をもって、今回の統廃合を正当化することにも無理があります。市の説明会(10日)では、審議会の市民委員からも進め方に疑問の声が出されました。地域の子育て環境に重大な変化をもたらす今回の統廃合計画では、市民の「参画と共同」の視点からも、市民参加のもとでの議論を経る手順が必要です。
市は、3月中に開催予定の「芦屋市子ども子育て会議」(法に基づいて、関係者・市民代表なども参加する会議)を単なる「報告」の場に留めず、あらためて議論し直す機会にすべきです。
・市は最終的に「総合教育会議」(2月3日開催)で決めたとしていますが、これにも重大な問題があります。そもそも「総合教育会議」は、市長と市長から独立した行政委員会である教育委員会の「協議調整」のために地方教育行政法で設けられた会議です。「協議調整」のためには、事前に教育委員の合議機関である教育委員会としての意思を正規の「教育委員の会議」で確認しておく必要があります。しかし、教育委員会では非公式の「協議会」は開いても、正式な意思決定の会議「教育委員の会議」は開いていません。重大な瑕疵があると言わねばなりません。「総合教育会議」のあとの「教育委員の会議」で「報告」をしていますが、「報告」で済ますことではありません。

●「待機児解消」につながらない『統廃合』 
・市は保育所の待機児解消を統廃合の理由にあげ、374名の定員増が見込めるとしています。しかし、新設する市立認定ごとも園の保育部分を入れて公立全体で増えるのはわずか30人分に過ぎません。あとの344名は統廃合とは別に誘致する民間の保育所(ハートフル福祉公社移転後跡地)、認定子ども園(浜風町、涼風町)、小規模保育所(市役所新分庁舎内)での増員です。しかも統廃合で廃園・民間移管(民営化)となる市立打出保育所、同大東保育所は移管後の定員に変化はなく、待機児解消には全くつながらないものです。

●民営化は退職保育士の「不補充」による財政削減が目的? 
・市は、2保育所の廃園・民営化の理由として、29年度末から34年度末までで市立2保育所分の保育士に相当する31名が定年退職となる問題をあげています(*1)。しかし、これは説明会でも市民から指摘されていたように「新規採用」で補充すればよいことで、廃園・民営化につなげることは行政の怠慢であり、統廃合計画について「子どもの最善の利益」を口にしながら、結局はコスト削減が目的と言われても仕方のないことです(*2)。
*1⇒29年度末5人、30年度末10人、31年度末〜33年度末各2人、34年度末10人が退職見込み。
*2⇒市は29年度から10年間の「長期財政収支見通し」で、今回の統廃合が実施された場合8億1千万円[保育士の人件費4億円、維持補修費等4.1億円]のコストが削減されるとしている

●「子どもの最善の利益」とは真逆
・市は統廃合を「子どもの最善の利益」につなげるとしていますが、これまでの市の方針に照らしても矛盾があります。統廃合によって地域の子育てセンターが遠くなり利用しにくくなるとともに、通園区域が広がり、教育委員会が進めてきた幼稚園への「徒歩通園」に無理が生じ、説明会でも「手をつないで行ける所で親子のきずなが深められることを大事にしてほしい」との声が出されています。
市は認定子ども園によって幼稚園教育が引き継がれるとしていますが、同じクラスに2時に帰る子(1号認定=従来の幼稚園児)と残る子(2号認定=従来の保育所児)が混在することとなり、それに対応したカリキュラムとなることによって、これまでの幼稚園教育がそのまま引き継がれることには成りえません。市民からも評価の高かった幼稚園教育が継続される保証はありません。
 芦屋市・教育委員会は、関係者の努力と地域で培われてきた幼稚園教育を守るべきです。

●市の都合で方針転換?…幼稚園の「3歳児保育」
・市はこれまで、市立幼稚園での「3歳児保育」実施は、すでに実施している民間園との児童の取り合いになるとして、実施しない方針を頑なにとってきました。ところが今回の統廃合計画では、市立認定子ども園の「1号認定」で3歳児から受け入れるによって幼稚園での3歳児保育の要望に応えられるとしています。認定子ども園には、市外に出ている3歳児を市内に呼び戻すことになり、市内民間園との競合は起きないという市の説明には何の保障もなく、これまでの市の説明とは大きな矛盾です。説明会でも「公立認定子ども園でできるなら、なぜ公立幼稚園でできないのか」(元PTA役員)と厳しい指摘がされています。
芦屋市は、今回の計画を撤回し、保育所の待機児解消にもつながる公立幼稚園での「3歳児保育」実施にとりくむべきです。

●公立保育所の減少は公的保育の後退 
・社会保障としての公的保育の中核を担うのが公立保育所です。芦屋市立保育所では保育士の配置基準の上乗せや看護師の配置、給食のアレルギー除去食など、保育水準の向上を高め、民間認可保育所を含む市内の公的保育の水準をリードする役割を担ってきました。まさに公立保育所が中心になって「子どもの最善の利益」を追求してきたと言えます。しかし、国による「民間活力導入」「保育の市場化」路線の中で、公立保育所が長期間つくられず(*3)、民間依存による弊害は一部社会福祉法人による不正(*4)ともなって表れています。公立保育所の減少は公的保育の中核がやせ衰え、公的保育全体の水準低下を招くことになりかねず、「子どもの最善の利益」に逆行すると言えます。
  芦屋市は、公的保育への責任を後退させず、市立保育所の建設こそ進めるべきです。
*3⇒芦屋では1982年[昭和57年]に新浜保育所が開設されて以来35年間も市立保育所増設はなし。
*4⇒昨年、芦屋でも社会福祉法人『夢工房』の前経営陣による不正経理問題が発覚。



posted by 平野 at 11:37| Comment(1) | 政策

2017年02月26日

幼稚園・保育所の統廃合・民営化は撤回すべきです

芦屋市は2月13日に、市立幼稚園・保育所の統合・廃園(閉所)計画を明らかにしました。今後の4年間で、幼稚園を現在の8園から半減して4園に、保育所は現在の6園から三分の一の2園にするというもの。
待機児童解消にもつながらない「民営化」…「子どもの最善の利益」とは真逆
4幼稚園の廃園は、徒歩通園を奨励するなど地域密着で培われてきたこれまでの幼稚園教育の否定であり、市立保育所(打出、大東)の民営化は「待機児童解消」(市の説明)とも関係のない公的保育の明らかな後退で、「子どもの最善の利益」(市の説明)とは真逆です。
統廃合によってあらたに市立認定こども園(幼稚園と保育所の複合施設)を2園新設するとしていますが、いずれも定員が150人から200人、250人から300人と広域を対象とした大規模なもので、これまでの地域に密着した子育て施設としての機能はどうなるのか、乳幼児施設としての安全は確保できるのかなど懸念されます。
 このような重大な改編でありながら、正規の教育委員会の会議では一度も確認・決定がされず、教育委員の「協議会」や市長をトップとする「教育総合会議」で非公開に進められてきたことも明らかとなりました。日本共産党は説明の2月13日の市議会全体協議会で、内容の問題とともにプロセスにおいても瑕疵があり、撤回すべきと迫りました。その後、非公開でされた教育委員の「協議会」は『記録をとっていない』(市教委担当課の説明)ことも判明、重大な政策決定が市民の知り得ないところでなされたことがいよいよ浮き彫りとなっています。市民からは「政策判断に市民の声は要らないのか」(保育所保護者)との厳しい批判の声が出ています。
 日本共産党は、開会中の市議会本会議の総括質問でこの問題を取り上げ、市・市教育委員会を追及する予定です。
本会議総括質問→日本共産党からは森議員が会派を代表して質問します(3月6日(月)午後2時頃〜)


posted by 平野 at 00:07| Comment(0) | 活動

2017年01月02日

新年おめでとうございます

(以下は親戚等に送ったわが家の今年の年賀状です。)
謹賀新年
 新しい年をいかがお迎えになられたでしょうか。
わが家では昨年、貞雄の還暦祝いに息子たちから春の一泊旅行の招待、また夏には夫婦で全国名水百選の里、郡上八幡を訪ねました。貞雄は9月議会の直前にO157による出血性大腸炎で人生初めての入院、千歳も見舞いの病院通いとなりましたが、共に元気に新年を迎えています。
自衛隊違憲派兵、カジノ解禁、年金削減、沖縄米軍基地強行、原発再稼動・・・日本はどうなるのかと心配の種は尽きませんが、昨年の参院選挙では日本の政治史初となった全国規模の野党共闘で貴重な成果を生みました。その上にさらに政治変革への希望を積み上げられる年にしたいものです。
みなさまに良き一年となりますよう祈念申し上げます。 
本年もよろしくお願い申し上げます。

2017年1月
平野 貞雄・千歳
     
posted by 平野 at 16:37| Comment(0) | ごあいさつ

2016年01月01日

2016年あけましておめでとうございます

親戚や友人に送った年賀状から・・・・・
新年明けましておめでとうございます

 昨年、貞雄は市議8期目をスタート、千歳は党県財政部長に就いて10年、二人とも相変わらず忙しい一年でしたが、夏には数年ぶりの上高地を楽しみました。九州に赴任していた長男・健一は希望かなって東京本社勤務に、4月から社会人となった次男も大阪の社宅住まいとなり、27年ぶりに夫婦二人だけの生活が戻ってきました。
 昨年は、政権の暴走が際立つ一方では、民主政治をめざす新たな動きに希望を見出した年でもありました。2016年は、その希望が現実の変革につながる年にしたいものです。
日本の未来とみなさんの明日にとって、今年が良き年になりますように・・・

2016年1月      〒659-0051芦屋市呉川町5-5-104 0797-22-0248
平野 貞雄・千歳
posted by 平野 at 00:00| Comment(2) | ごあいさつ

2015年12月31日

「戦後」がこれからも止まることのないように

 戦後70年も今日を残すのみとなりました。春の選挙がずいぶんと前のように感じられるくらいに、戦争法(=「安全保障法制」)をめぐる夏のたたかいは濃密でした。結果は与党の数の横暴によって、くりかえし示された国民の意思に反する強行成立となりましたが、たたかいは続いています。その中で迎える新しい年であれば、参院選挙の勝利によってたたかいの前進を感じ取る年にしたいと思います。兵庫選挙区の金田みねおさん、比例代表の大門みきしさん先頭に、立憲主義をとりもどす国民連合政府樹立の橋頭堡を築く成果が勝ち取れるよう私もがんばります。
 迎える新年に続き、積み上げる戦後の年数が止まることのないようにとの願いを込めて年越しの除夜の鐘を聞くことにしたいと思います。
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posted by 平野 at 00:00| Comment(0) | 日々雑感

2015年12月25日

問題残す芦屋市屋外広告物条例

芦屋市議会の12月定例市議会で賛成多数で可決された屋外広告物条例案は、景観を理由に看板やのぼりなどを規制し、違反に対する罰則を設けるものです。しかし、市商工会から性急に結論を出さないように求める「陳情書」が出されるなど、市民的合意は十分ではありません。しかものぼりは住宅地域では原則禁止になるなど、小さな店舗事業者にとっては厳しい制約が加えられることになり、パブリックコメントでも見直しを求める意見が出されていました。日本共産党は、景観を守ることには賛成ですが、「表現の自由」という基本的人権を罰金まで科して規制する以上は、市民的合意が不可欠であるなどの理由で反対しました。
「慎重審査」との委員会の判断を無視した乱暴な「動議」で一転可決に・・・・
屋外広告物条例は、2度の委員会審査では、慎重な審査が必要と一旦は予算議会までの「継続審査」とされましたが、最終本会議で当日16時までにに結論を出すという動議(中島かおり議員提出)が出され、急きょ審査を再開、本会議で賛成多数で可決されました。
(日本共産党芦屋市議団ニュースNo198より転載)

posted by 平野 at 00:00| Comment(0) | 活動

2015年10月23日

日本共産党市議団ニュース2015年秋号より…9月議会一般質問

保育料の負担軽減を/マンション防災支援の強化を
9月市議会では、保育料の問題、マンション防災、平和行政などについて一般質問でとりあげました。日本共産党芦屋市議団ニュース2015年秋号より、私の一般質問部分を転載します。

芦屋市は、この数年保育所保育料を据え置いています。しかし、保育料の最高額は3歳未満児で月額89000円と神戸市よりも15000円も高く、20年前の1.7倍にもなっています。保育料を決める所得階層区分が粗い(20年前は20段階、現在は11段階。全国的には30段階の市もある)ため、所得増による保育料増額の負担感が他市よりも大きくなっており、階層区分の細分化を求めました。また、国による「年少扶養控除」廃止で実質引き上げの世帯も出てきており改善を求めました。また、今年から始まった「小規模保育事業所」の保育料は、施設や人員配置の緩和(水準低下)もあることから西宮市などでは25%低く設定しているのに対して、芦屋市は認可保育所と同額です。質問ではその減額を提起しました。いずれも積極的な返答には至りませんでしたが、これからも求めて行きたいと思います。
防災では、市民の多くが居住するマンションの防災支援が先進市に比べて遅れており強化を求めました。
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2015年10月18日

非核平和都市宣言30周年を迎えました

芦屋市は、市議会が1985年10月15日に非核平和都市宣言を決議してから30周年になることから、市役所北広場に宣言の銘板をこのほど設置しました。市民団体や日本共産党もこの間にモニュメントの設置を求めてきました。宣言は、24の市民団体の請願と7000名を超える市民の署名が大きな力となって、二回の定例議会で審議の上、全会一致で可決されたものです。私も一期目の議員としてかかわり、当時二期目の議員だった山中現市長らとともに、宣言文の起草にあたりました。核弾頭の数は減ってきていますが1万数千発の脅威はなお巨大なものです。これからも宣言を風化させずに施策の充実を求めていきます。
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2015年09月23日

連休過ぎても忘れない!

今日は、33周年の結婚記念日…ですが、この数日の風邪で、今日も家の中で過ごしています。先週末の市議会本会議で、戦争法の廃案を求める請願への賛成討論をしながら喉の変調を自覚、案の定その夜から咳き込みだして、予定をキャンセルできるものはしながら、自分が責任者や事務局の会議に出ている内に症状が悪化。結局シルバーウィークを通じて寝たり起きたりの状態で、今日はチョット良くなった感じです。来週には決算議会を控え、気が気ではありませんが、体力温存と割り切って養生しています。それでも、自宅でできることをと、この間に戦争法に関する行動案内ビラも一種類作成、ニュースを二種類、党市議団のミニニュースと市民団体のニュースを編集・作成、印刷・発行しました。他に国民救援会のバスツアーの企画書も作りました。これはけっこう楽しみながらできました。
大阪で初任者研修中の次男は、連休初日に顔をチラッと見せた切りです。東京に赴任中の長男は、帰省しても友人や彼女との時間に忙しいらしく、今日午前中に彼女に見送られて戻っていきました。・・・というわけで、今日は夫婦ふたりで久々にゆっくりと流れる時間の中で過ごしています。

それにしても「連休過ぎても忘れない!」ですよね。戦争法をめぐる安倍政権の国民主権も立憲主義もふみにじった今国会を・・・

以下に、18日に市議会本会議で行った請願への賛成討論を掲載します(ちょっと長いですけど、よろしければどうぞ・・・)
「安保関連法案(戦争法案)」のすみやかな廃案を求める請願書 への賛成討論

日本共産党を代表して、「安保関連法案(戦争法案)」のすみやかな廃案を求める請願書 への賛成討論を行ないます。

先月8月15日に市民センターで開かれたユネスコの平和のつどいで、ある年配の方が歌を何首か紹介されました。そのうちの一首に次のような歌があります。

ふたたびは銃をとらじと ちかひたる きびしきのりも 風になるがに
芦屋市の誇る詩人、富田砕花が憲法9条の「風化」を嘆いた歌ですが、昨日からの国会を見れば、その思いを強くするのは、私だけではないと思います。
安全保障法制関連法案いわゆる戦争法案が参議院特別委員会で「強行採決」に付されました。委員長の職権乱用に対して野党が出した委員長不信任動議が与党の多数で否決されて、鴻池委員長が席に戻るや否や、与党議員が委員長席を取り囲み、かけつけた野党議員を力ずくで排除する中、委員長の議事運営の声も聞こえないにもかかわらず、自民党筆頭理事である佐藤正久参院議員の指示で与党議員が起立し、締めくくり質疑もないまま、形ばかりの採決で、可決されたとする暴挙を目の当たりにし、憲法違反の戦争法にふさわしい決め方だとひにくることさえむなしくなる思いにもなりましたが、すぐにそのむなしさを吹き払う怒りがふつふつと沸いてきました。
同時に、廃案を訴えて国会をとりまく人々の中に、この国の将来への希望も見たように思います。憲法9条の風化は、政府与党の中のことであり、若者をふくめ国民の中にはしっかりと根付いているということです。
かつてのような組織動員ではない老若男女が、それぞれ一人の主権者としての意思をもって行動に参加する姿は、この国に民主主義の新たな段階の到来を予感させます。
そこに信頼して、私たちも仮に法が成立させられようともその施行を止める新たなたたかいを進めて行かなければと思います。

請願が法案の廃案を求める妥当性は、何よりも法案の違憲性にあります。
請願でも指摘しているように、衆院憲法審査会に招致された参考人全員が法案を「憲法違反」と断じたことは、ご承知のところですが、その指摘は歴代の元内閣法制局長官からさらに、「憲法の番人」と称される最高裁判所の元判事、元長官へと広がりました。安倍内閣やその与党が、いくら専守防衛のための限定的な集団的自衛権行使だと説明しても、その論理矛盾が誰の目にも明白であるとともに、その根拠を砂川判決と1972年の政府見解に求めることがかえって、法案の法的安定性の無さを示すことになりました。
元最高裁長官の山口繁氏は、今月3日、安保関連法案について「集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反といわざるを得ない」と述べ、砂川判決が「必要な自衛の措置」に言及していることについて「集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えれらない。」と言い切っています。
法案のこのような違憲性の明白さゆえに、弁護士でもある篠山市の酒井市長の発言が説得力をもつのだと思います。
市のホームページで酒井市長は、このように言っています。
「これを合憲と言う人は、憲法を勉強したことがない人か、あるいは憲法学者より自分が偉いと思っている人、あげくは憲法より自分が偉いと思っている人ではないかと思います」本市の山中市長の「戦争できる国にするという愚かな選択」と言う発言も、歴史の教訓から導き出された重みのある言葉だと思いますが、酒井市長の発言は、さらに痛烈ではあるけれども核心をついた言葉だと感じました。

総務常任委員会での委員会審査では、この集団的自衛権についての国連の定義と法案での定義が異なるかのような発言が請願に反対、法案に賛成の議員からされましたが、本当にそうであるならば、法案が国際社会では通用しないことを自ら認めるものです。
昨年の閣議の時に持ち出された武力行使の「新3要件」なるものも、あいまいな言葉をちりばめて要は時の政府が判断するというものであり、憲法さえも解釈で変えてしまうことで立憲主義さえもふみにじる今の政権の下では、何の歯止めにもなりません。
限定的であろうとそうでなかろうと、集団的自衛権とは、わが国が攻撃されたわけではないのに、他国からの応援要請に応えて、あるいは自ら進んで応援を申し出て戦争に参加することであり、それは相手国からすれば、戦争の相手にしているわけでもないわが国からの先制攻撃をうけることであり、そのことにより日本が反撃を受ける極めて高い危険性を生み出し、あるいはテロの標的にされる危険性を高めるものであり、原発と言う格好の標的を全国に散らばらせているわが国にあっては、まさに存立危機事態を自ら招くことになるものです。
安保法制、戦争法への批判に対して、ときおり「では、日本の平和を守る対案は」と問い返す人がいます。日本共産党としては、かねてより北東アジア平和協力構想を提起し、諸外国からも高い評価を受けていますが、あえて言うならば、現局面では、あらたな緊張関係を生みかねない安保法制、戦争法を廃案にすることこそ、平和を守る最大の対案だと申し上げておきたいと思います。

集団的自衛権の行使で想定されるのは、アメリカの戦争への参加ですが、そのアメリカがいかに間違った戦争をしてきたかは、アメリカによるトンキン湾事件のデッチ上げから始まったベトナム戦争、近年では大量破壊兵器の保有という虚構の口実で始まったイラク戦争など枚挙にいとまがありません。そんな不正義の戦争に加担させられ、日本の若者や相手国の無実の人々を巻き込み、殺し殺されることになるのが集団的自衛権の行使であり、憲法が禁じている戦争そのものです。
憲法九条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。」と謳っています。この放棄した国権に集団的自衛権は含まれないなどと言う論は、いかに限定的という言葉をつけようとも成り立つものではありません。

安保環境の根本的変容などと、わが国の安全保障環境が厳しくなっているということも安保法制の根拠にされています。集団的自衛権行使は憲法違反というこれまでの政府見解を覆し、わが国の平和と安全のためには法的安定性などどうでもいいなどという暴論は論外であり、憲法違反の法案を正当化する論拠にはとうていなり得ませんが、そもそもが果たしてほんとうに安全保障環境が厳しくなっているのかも問われなければなりません。わが国が近隣諸国と国境問題をかかえていることは確かであり、その解決が求められますが、それは国際法と道理にもとづいて行なわれるべきであり、安保法制とその具体化によるいわゆる軍事的対抗で進むものではありません。政府は、根本的変容の具体的中身を示すことができずに、一部に言われる中国脅威論さえ、政府は国会答弁で否定せざるを得なくなっています。中国を例に見てもいまやわが国の対外貿易第1位が中国であり、中国にしても重要な貿易相手国が日本です。両国が武力で合い争うことにでもなれば、両国の経済が成り立たなくなる自滅の道を共に進むことになるというのがいまの時代です。当初、安保法制発動の具体的事例として政府が説明したホルムズ海峡の機雷掃海も、イラン自体が否定し、安倍内閣も現実的には想定していないことを認めざるを得なくなり、いわゆる立法事実自体がなくなるという事態になっているのが、安保法制をめぐる現状です。ならば廃案しかないではありませんか。

そもそもが中国や北朝鮮など近隣諸国との問題は、集団的自衛権ではなく個別的自衛権の問題ではないんかとの指摘がされることに対して、「抑止力」を理由に集団的自衛権行使の安保法制をへ正当化する主張もされてきました。
しかし、その主張は、すでに日米安保条約によって米側には日本防衛の義務が課せられているということをあえて後継におしやり、ある意味屋上屋を重ねて米軍による抑止力効果を強調するtで、国民の問題意識をそらせ、日米安保条約を超える安保法制の危険性をごまかそうとするものです。日本防衛を口実にした米軍基地強化という日米安保条約の欺瞞性に加えた国民への二重のごまかしであり許せません。 
今日は満州事変と言われた柳条湖事件勃発84年目の日ですが、シナ事変と言われた盧溝橋事件とともに、一発の爆弾を口に、あるいは一発の銃声を根拠に、自存自衛のための抑止力のはずの軍隊が牙をむいて侵略力となって行った歴史を思い起こさなければならないと思います。「いまは、シビリアンコントロールがある」ということも、法案成立前からのにち自衛隊の独断専行を暴露した内部文書の発覚によって、信頼性を失い、説得力を持たなくなってしまっているのが現状です。法が成立すればその暴走が加速することになりかねず、日本国民の平和と安全がさらに危機にみまわれることになりかねません。

それでもなお、ひとまず自衛隊が送り込まれるところが、安全であるかのように言いつくろうため、安倍内閣は、国際概念としては戦闘行為と一体である武器弾薬、燃料の補給活動である兵站活動を「後方支援」などと言い換えたり、身を守るための必要最低限の武器使用は憲法が禁じる武力行使ではないと繰り返したりしますが、そのようなことをいくら言ってみたところで、国際社会では通用しないのであり、戦争の実態からかけはなれた虚構の世界での論理でしかありません。そのような論理で、歴史の過ちをくりかえすことを私は良しとしないが故に戦争法である安保法制には絶対反対であり、廃案を求める請願に賛成するものです。

一昨日私は、請願者のお一人から手紙をうけとりました。そこに添えられていた一文に先の戦争体験者の切実なまでの平和への願いを感じ取りました。短い文章なので読み上げたいと思います。
「おばあちゃんからのお願い・・・あなたは息子を戦場へ遅れますか? あなたは戦場に行って人を殺せますか?
私たちは大正から昭和初めに生まれた80歳近いおばあちゃんです。
でも私たちは、昭和のあの戦争をこの眼でしっかり見てきました。
まだ若くて何も考えず、政治家の言うとおり一生懸命戦争に協力しましたが、それを思い出すと恥ずかしくてなりません。
私たちは右でもない左でもない、普通の家の小さいおばあちゃんです。
でも、300万人以上の日本人が死んだあの戦争で、その一人一人の家族がどんな思いをしたか、それが忘れられません。そして、戦場になった国の人々に、より深い怒りや悲しみを与えたことも。あの時のような思いを私たちの子や孫たちには絶対させたくない、そう思うと居ても立ってもいられずこれを書いています。
戦場に行きたい人など誰一人いないはずです。
私たちも大事なかわいい孫やひまごを戦場にやりたくはありません。
人を殺したり殺されたりする場所に行かせたくないのです。
私たちは願っています。この日本の国が、いつまでもいつまでも、
戦争をしない国であることを! そしてまた、
戦争の手助けをしない国となることを!
私たちはこれから先そんなに長くはいきないでしょう。けれども、若い頃戦争する国日本に協力してしまいました。たからこそ、こんなおばあちゃんが勇気をふるってお願いするのです。
どうか眼をしっかり見開いて、自分の歩く道を選んでください。
あなたは息子を戦場へ送れますか?
あなたは戦争に行って人を殺せますか?」


この戦争体験世代の言葉は、国会前の集会に参加したある女子学生の言葉にも通じるものです。彼女は「後悔の中に、体を震わせて泣くことはしたくない」とマイクをもって戦争法の廃案を訴えました。歴史の教訓がしっかりと生かされようとしていると私は思いました。
そのような思いがいま全国に広がっているのです。

請願の妥当性のいまひとつはそこにあります。つまり、安保法制、戦争法案の可決は、歴史の教訓を生かそうという国民の意思に反しているということです。民主政治における基本的な問題点です。
九月に入ってからの最新の世論調査では、法案に反対が6割を超え、国民に十分な説明がされていないとの回答が8割を超えています。慎重審議も含めて今国会での成立に批判的な意見も8割を超えています。
時間的経過と共に、反対や批判が増える現状は、いかにこの法案が問題をはらんでいるかを示しています。
立憲主義と国民主権から逸脱した内閣は退陣しかない、そんな政府が出した法案は廃案しかない、そのことを強く指摘し、請願への賛成討論とします。

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